2016/09/24: 奥武蔵・竹沢散歩;木瓜爺撮歩8-19-2 雲龍寺〔2〕 (No.2815)

「雲龍寺」には、もう一つお堂があります。それに並んで「地蔵堂」もあります。

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お堂の額は「薬師堂」のようです。よく分かりませんが、「師」は篇と旁が逆になっているようですが・・漢字では時々こういうのがあります。  木瓜爺の「ちゃらんぽらん宗」では、現世・・つまり、人間としてまともに機能している間は「心の中に住まわれているお釈迦様」を、あの世のことは「阿弥陀様」を、そしてその中間、少々壊れてきたら「薬師様」を頼ることにしていますので、ちゃんとご挨拶して行きます。

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薬師様は中央の御厨子の中で、お昼寝中のようで、左右に菩薩(日光・月光?)がおられますが、ちょっとお疲れのようで、身体が傾いておられます。周辺には十二神将が並んでおられるのかな? 左右に別の祠も置かれていますね。向かって左は前に「め」の紙が貼られていますので、多分「めの薬師」、右は、天女の像も並んでいますので、吉祥天などの系統かもしれません。

小川町の歴史には『寺伝では、雲龍寺は、嘉元二年(1304)に、後深草天皇に仕えていた竹沢左近将監が、この地に草庵を設けて開創したもので、また、口碑によれば、雲龍寺は天正十八年(1590)に大火によって焼失し、その後長い間村内に寺のない状態が続いていたが、享保四年(1719)に再興された。これを雲龍寺の中興とし、中興開山の邦秀は「新編武蔵風土記稿」によれば享保七年(1722)の没となっている。ちなみに、この中興開山の邦秀という僧は、本山である大梅寺の三世である。(中略)・・・武蔵七党児玉党の一支族である竹沢氏が館を置いたところであり、雲龍寺の裏山に祀られている熊野神社の境内には竹沢氏の祖である竹沢二郎行高のものといわれる五輪塔があり、社殿の背後にはその館跡とされる平場がある。この熊野神社は、神仏分離まで雲龍寺持ちであった』
というような記述があるようです。「薬師堂」に触れた記事はまだ見つけていません。

m-8-19-13 G_0609では、お地蔵様にもご挨拶して行きます。こちらは入り口のほうにおられた、単体の地蔵様です。そして・・

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「六地蔵」の並ぶ「地蔵小屋」。左の石碑は、「南無十一面観音」と彫られています。六地蔵は頭部が修理されたものもあるようですね。大きさが微妙に不揃いです。右端の地蔵は、六地蔵のリーダーではなくて、別の単独だったお地蔵様のようです。

お参りを済ませて、「竹澤氏の舘跡」で、山腹に土塁や空堀らしきものもあるという裏山の「熊野神社」に向かいます。

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