2016/09/29: 五日市線漫歩;木瓜爺撮歩16-13 菩提の道場  (No.2820)

「横澤入」の自然保護領域から出てきました。「大悲願寺公園緑地」です。

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「大悲願寺」というお寺は「新編武蔵風土記稿」の時代より前から有名なお寺なのです。例えば、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻める戦の時、天正18(1590)年、「制札」を出しています。2枚残っていますが、6月のものは、「木村常陸介」「前田利家」「上杉景勝」の連名になっています。現代の文字に替えて書いてみます。『禁制 一、當手軍乱暴狼藉事 一、陣取事 一、対寺家門前輩非分之義申懸事 ・・(以下略)』此の寺に陣取をしたり、乱暴狼藉をしてはいかん、是に背くと厳罰に処するぞ・・と、寺を保護しています。その前の1月のものは、「木村常陸介」の名前で出ています。表現は少し違いますが、寺を保護する意味では、ほぼ同様です。この、「木村常陸介」は、大坂冬の陣で死んだ「木村常陸介重成」の親父さんでしょうか? 「重滋」という人ですが、この方は、豊臣秀次の後見役になったために秀次事件で責任をとって自刃しています。

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緑地には「萩」が咲いていました。「大悲願寺」自体「白萩」の名所なのですが、m16-13-03MC3_5907「萩」という花も、写すべき時期に来ることが難しくて、なかなか満足できない花です。この株は丁度よい感じでした。いわゆる「見頃」よりは心持ち早めです。好みにもよりますが、「見頃」と言われる時期に写すと、花そのものは初々しくなくて、何だかだらしなくなってしまいます。

さて、斜面に上がろうか・・・

「大悲願寺」の八十八箇所石仏は、山門のあたりから始まっていましたが、並び順がよく分かりません。観音堂の裏から山腹に上がって、東に並び、この緑地の所から下に下って西に引き返します、最後は本堂前で結願するように配置されているようです。m16-13-04MC3_5909

これは、下の段の最後のお釈迦様かな?「六十八番 神恵院 阿弥陀如来」です。 昨日の写真で、下から見上げていた石仏の所から拝んで行きましょう。もう、六十六番「雲辺寺 千手観音」ですね。「涅槃の道場」という石が立っています。これは、香川県の霊場のことなのです。八十八箇所霊場の説明を見ますと、こう書かれていました。『「涅槃の道場」 23ヵ寺  涅槃(ねはん)とは梵語で吹き消すことを意味し、さまざまな苦を絶ち、一切の煩悩を消滅した悟りの境地をいいます。讃岐は、23ヵ寺を無事に巡り終えることで結願となる地であり、「涅槃の道場」と呼ばれています。』

そういえば、この山腹コースの終わりの所には『菩提の道場』という石標がありました。こちらは、愛媛県の霊場で『「菩提の道場」 26ヵ寺 瀬戸内海に面した愛媛県は、気候が温暖で自然も土地の人たちも穏やか。お遍路さんを温かくのんびりと迎えてくれます。「修行の道場」である土佐から訪れ、心癒されるところで「菩提の道場」と呼ばれています。』

結論をいうと、今日のブログで歩くのは「菩提の道場」域なのでした。

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m16-13-06MC3_5920六十六番は「讃岐ゾーン」なのですね。但し木瓜爺、ここから始まると錯覚していたのです・・・右のは64番「 前神寺真言宗石鉄派  本尊「阿弥陀如来」住所「愛媛県西条市州之内甲1426 」、あれ?愛媛県だから「菩提の道場」だぞ? 次は63番・「吉祥寺 の 毘沙門天」です。・後戻りしていますねえ? つまり、逆順に歩いていました。 m16-13-07MC3_5921

「六十二番 宝寿寺の十一面観音」またまた後戻り・・並び方が悪いのじゃなくて、木瓜爺がまごまごしている為かと思ったのですが、そうではなくて、逆順に歩いているのだ・・・「六十番 横峰寺 大日如来」「五十九番 国分寺 薬師如来」。お遍路の廻り方というのは、普通番号順に歩くのだと思っていましたら、最近は交通機関との関係で、どこからでも良いという形にかわってきているようです。m16-13-08MC3_5923

「五十九番 国分寺」は今治市ですね、ここは 木瓜爺がお寄りしていない国分寺です。武蔵国分寺で育った木瓜爺、機会があれば全国の国分寺にお参りしたかったのですが、まだいくつか残っています。急がなくっちゃ・・・m16-13-09MC3_5925m16-13-10MC3_5926

石仏の見分けがだいぶ付くようになってきました。第五十七番・・これは「阿弥陀如来」ですね・・調べると「栄福寺 高野山真言宗 本尊 阿弥陀如来」あたり!

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というわけで、頭の体操をしながら進みます。橋がありました。m16-13-12MC3_5929

「十夜ヶ橋」と書かれています。『昔、弘法大師が行脚のおり、この辺りにさしかかった時、日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされました。その折に、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことから十夜ヶ橋と名がついたといわれています。』という故事にちなんだ橋のようです。下の道が見えて居ます。あそこにも一つありますね。

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また橋が出て来ます。これは「はりまや橋」と書かれています。

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「五十四番 延命寺 不動明王」でしょう。

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これは、「四十六番 浄瑠璃寺」の「薬師如来」ちょっと難しかった。m16-13-17MC3_5954

 

少し高い場所に上がって行きました。これは振り返って写しています。

「菩提の道場」の石標がありました。「四十番 観自在寺 薬師如来」寺名からは観音様かと思ったのですが違いました。

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疲れましたね。ここからは下りです。下ると、観音堂の裏手。小屋があります。

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この小屋は、守護神社の名残と思われますが、現在は古社の古材が詰まっているような感じでした。・・今日は「菩提の道場」通り抜けのお粗末でした。

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