2016/10/05: 高尾山付近・小仏街道散歩;木瓜爺撮歩09-09 駒木野・小仏関所跡 (No.2826)

小仏街道を書き始めた日に、「金南寺」に触れましたが、そこを書いたブログを見つけるのが こんなんじ(困難事) とおっしゃる不精者(?失礼)もおられるようですので、遅まきながらリンクを付けておきます。木瓜爺ブログとしては、・・19- 高尾山漫歩:木瓜爺撮歩51-09-3 金南寺観音堂 (No.2629)

Choi-Boke爺ちゃんのブロクとしては、・・・10月10日:木瓜爺撮歩44-10 寶生山金南寺(こんなんじ)が、あります。現在観音堂がある場所に、焼ける前の「金南寺」があったのですが、再建の本堂は山の方に入ってしまい、観音堂だけが元の位置に残っています。

さて、「小仏関所跡」に戻るのでしたね。

m09-09-01DSC_5942

「新編武蔵風土記稿」を読みます。『駒木野関 小名駒木野にあり 即ち甲州道中の御□なり このせき往古は小仏の頂にありして天正の初 今の所に移せりという 上椚田村高尾山薬王院所蔵 永禄四年制札の文に 小佛谷関所越堅停止云々の文あり これ又證とすへし (中略) 番所の大きさ七間半に三間茅葺 東西御門の中間に南向せり

御門二ヶ所 東向 西向にして街道にわたる  御関所高札 番所の側にあり  成敗場 小名字橋の傍にあり 関所あるゆえに建てかるる成敗場なるへし (後略)』

かすれていて読めない字を一つ□にしています。説明板で分かるかも知れませんね。中略した部分に、要員は四名であったが、故あって一人へらし、三人になったなどと書かれています。

m09-09-02 F3240

 

八王子教育委員会の説明で、小仏峠にあったときの名前を「冨士見関」としています。小仏の峰、相州との境に「浅間社」があり「冨士牛王」と書いた木の板があったそうですから、「冨士」にこだわった呼び名があったのかも知れません。現在は石祠が置かれていたと思います。

m09-09-03 C_5943説明板に書かれている「手形石」「手つき石」も、最初の写真にちゃんと写っていますが、改めて。・・「手つき石」は半分に切れてしまいました。違反者(関所やぶり)は、磔の刑?「成敗場」というのは、そういうことを行う場所なのでしょう。

もう一つ、ちょっと古い立て札を見つけました。下に入れます。これで見ると、「川」がすぐ前にあるのですが、現在は、暗渠に近い状態で、橋もなくなっています。そういえば、石碑が一つありました。あとで挿入します。

m09-09-05 F3235

関所跡の西側の台地は公園化されています。

m09-09-04 C_5959

m09-09-06 C_5964

この関所の西側が「小仏宿」、東側が「駒木野宿」と呼ばれたので、こんな石碑も建っm09-09-09 F3213ていました。

それで、先ほど書いた「駒木野橋」の事ですが、街道に記念碑がありました。名前だけを残すということのようです。これも「供養塔」の一種かな? 昔なら脇に「橋供養」と入れる所ですね。

そろそろバスが来ます。人が集まって?来ました。

m09-09-07 C_5963

m09-09-08 C_5965

 木瓜爺もここで終了。この街道は、この先に、「常林寺」とか「寶珠寺」とかあるのですが、木瓜爺としてはまだ見つけて居ない「天神様」を探したいと思っています。「高尾天満宮」というのが、高尾山の山腹にある筈なのです。蛇滝口のあたりだったかなあ?少し調べてからにします。

広告
カテゴリー: , 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中