2016/10/08:あきる野草花漫歩;木瓜爺撮歩55-05 大澄山 (No.2829)

10/02 日曜日故に遠出はしないことにしていたのですが、思いがけず「晴」ました。午前中は用事があったのですが、午後は5000歩は歩くぞ!と、X20 片手に飛び出します。大澄山に上がって草花神社まで行き、慈勝寺に下って戻って来る、これでほぼ5000歩です。ちょっと少ない歩数ですが、一応70m位のアップダウンはありますので、足慣らしにはなるでしょう。

m55-05-01 F3301比丘尼坂を上がって、一番近い薬師堂に遠くからコンニチワ。多摩川右岸を南に向かいます。冬になると「大根干し」をしているビニールハウスがあるのですが、この時期は何しているのかな?m55-05-02 F3303

側面のビニールは、はがしてあって、雑然としていましたが、野菜の苗が置かれて居ました。

m55-05-03 F3304

今、苗というのは、秋から冬にかけての野菜・・大根でしょうかねえ? 普通は種で蒔いて、間引くのですけど・・・業務用は違うのかなあ?m55-05-04 F3308

多摩川の上空を鳥が飛んでいます。カワウでしょうか? そろそろ「八雲神社」入口の筈ですが・・・目印はこの「庚申塔」と「馬頭観音」です。登山道は、この一本手前の道なのですが、そちらは目印がないので、ここまで来てしまいます。m55-05-05 F3398

この道のことは、2014年に冬の散歩で書いています。11- あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-09 折立・八雲神社 (No.2166)  八雲神社の前に来ました。リンクしたブログに詳しく書いていますので、今日は右に回って登山道階段に入ります。m55-05-06 F3311なお、「新編武蔵風土記稿」の頃は、このあたりは「下草花村 折立」と呼ばれています。『折立 北の方にあり』と書かれ、『山神社 除地一畝六歩 北の山きはにあり 百姓の持』と書かれているのが、この前身でしょう。山神社ですと祭神は「大山祇神」つまり「山王様」の方なのですが、江戸末期から、このあたり一帯に「牛頭天王」が侵攻してきたようなのです。それが、八雲神社に変わっていったと思われます。m55-05-07 F3316

「牛頭天王」のほうは「疫病よけ」というご利益がありますので、羽村も草花も、疫病が流行した時期に、勧請したのでしょう。というわけで、現在は祭神「素戔嗚尊」といm55-05-08 F3319うことですね。

登山道は、降り続いた雨で、かなり砂利が流れたようでしたが、通行には問題ありません。もう、乾いています。この上りは、40m位なので、たいした事はありません。それでも、汗は出ました。尾根筋に出て、南に行きます。m55-05-09 F3328

「大澄山(だいちょうさん)」は、先ほどのブログの翌日に書いています。12- あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-10 大澄山(だいちょうざん) (No.2167)  山の上にあった「平和観音」にも触れています。今は行く道も良く分かりません。多分「花蔵院墓地」のほうから行くのでしょうが、廃墟になっているようです。「花蔵院墓地」の横を通過して、ひと登りすると、四阿のある、大澄山山頂です。m55-05-11 F3338m55-05-10 F3333大澄山

ご覧のように「標高192m」しかありません。羽村大橋が標高145m位の高さに架かっていますので、標高差45mなのです。多摩川側の木を切って、景色が見えるようになっています。ははあ、多摩川左岸の老人ホームが足元に見えます。成る程、こういう位置なのか・・などと改めて認識です。m55-05-12 F3340

ベンチに座ってぼんやりしていると、小鳥がやってきます。浅間岳の頂上より、鳥が近くに来ますね。今度、長いレンズ持って来ましょう。

m55-05-13 F3346 ヤマガラ

偶然見える所に止まってくれた「ヤマガラ」です。シジュウカラも来ていました。しばらく休憩。目玉をクルクル回して、視力回復運動します。

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