2016/10/10: あきる野市草花漫歩;木瓜爺撮歩55-07 福壽山 慈勝寺 (No.2831)

慈勝寺は、このあたりでは伝説の面白いお寺です。その詳しいお話は、15- あきる野市散歩;木瓜爺撮歩82-12 福寿山 慈勝寺 (No.2170)  がよいでしょう。今日は、参考文献を替えて「新編武蔵風土記稿」を見ながら書くことにします。

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『(下草花村)慈勝寺 小名本村にあり 禅宗臨済派同郡戸倉村光嚴寺の末 福壽山と号す 寺記の内に畠山二郎重忠之伯母圓壽院理體大尼鋻開之地也と記せり 或書云 秩父畠山次郎重忠之祖父畠山庄司太夫重弘之嫡女嫁于千葉常胤 是重忠之伯母也と 今客殿に安する位牌の面に當寺開基圓壽院殿善通理體大姉とあり もとより卒年はしめさされと位牌の上の方に千葉家の紋月星をつけたれは常胤の室なるにや 何れにも後世より法号を贈りし者ならん 開山貴山得和尚 大永元年四月十九日寂す 大永は重忠の頃よりは遙の後なれは時代あわす 恐らくは傳の誤りあるへし 本尊正観音 木の坐像長三尺 本堂七間に八間 南向也 今御朱印寺領十三石を賜ふ 

鐘楼 客殿の側にあり 鐘は宝永二年に鋳たるものなり  観音堂 門を入りて左の方にあり 堂は三間四方 観音は木の立像長八寸はかりなり』

開山者の没年が合わないと書いています。多分、開山者ではなくて、中興した和尚なのでしょう。「新編武蔵風土記稿」当時の観音堂の位置には大きな建物はありません。

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六地蔵様や地蔵堂・・・が並んでいます。

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 鐘楼の前には「南無阿弥陀仏」の碑。m55-07-06 F3380

 

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とにかく、本堂にお参りして行きます。裏の方には広大な墓地があります。

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奧のほうの山の後ろが、多摩川だなんて思えないですね。この墓地の入口にあるお地蔵様が、今日は良いお顔なのです。秋晴れですがすがしいのでしょう。

m55-07-09 F3390 慈勝寺六地蔵

 

というところで、帰途につきます。

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