2016/10/12 大山詣り;木瓜爺撮歩99-37 誓正山茶湯殿涅槃寺(茶湯寺)  (No.2832)

「こま参道」から外れて、車道のほうに出ますと、川があり、そこに掛けられた橋が、寺の入口になっていました。

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m99-37-02 F4965茶湯寺

浄土宗のお寺で「誓正山茶湯殿涅槃寺」、『土人「茶湯寺」という』・・・が、頼りで、「新編相模国風土記稿」を探す事にしました。すると不思議な事が出て来ました。

その前に、「伊勢原の観光ガイド」の記載を引用しておきます。簡単で分かりやすいからです。『茶湯寺:死者の霊を百一日の茶湯で供養する「百一日参り」の寺として知られています。供養に行くと必ず死者に似た人に会えると伝えられ、本尊の釈迦涅槃像は市の重要文化財に指定されており、山内には死者供養のための数多くの石仏があります。また、参道に立つ石地蔵の光背の一つに○キの刻字があり、隠れキリシタンのものではないかとも言われています。』

「百一日参り」というのは、101日通うのかと思ったのですが、そうではなくて、死者が出て100ヶ日がすぎ、101日目にお参りすることでした。これに対して、「新編相模国風土記稿」のほうはというと、次のように書かれているのです。ただし、これは「土人茶湯寺と唱ふ」というフレーズをキイワードとして目で探した結果です(コンピューターではないので、見落としがあるかも知れませんよ)。

『(大山)来迎院 女坂の右ニアリ。密空山大山寺と号す 古義真言宗八大坊末 開山義範 寛治二年十月五日没 中興弘誉 寛永九年正月三日卒 本尊弥陀 當寺は別當八大坊。及山上寺院の菩提寺なり。此の寺を「土人 茶湯寺」と唱ふ」。こは近辺の農家、死者あると時、百ヶ日に当る日、當山不動へ参詣す、その時死者の法名を記し、當寺に来て、茶湯をうく。故にかく呼べり。又 脇坊光圓坊にも、此事あり。』

ここに記された「来迎院」は古義真言宗のお寺であり、「大山不動」の直系ですが、「涅槃寺」は「浄土宗」ですし、寺の位置も同じかどうかわかりません。というのは當時の男坂、女坂の分岐点にあった「前不動」が現在はないらしくて、どこで分岐していたのか木瓜爺にはよく分かりません。茶湯の振るまいは「光圓坊」にも同じような場所があると書かれているので、この「大山不動」附近のしきたりと解釈されるのですが、百日が百一日に変化しているのか面白いです。浄土宗ですと、死後のことは阿弥陀様にお任せしているので、なにも不動様にお参りしなくてもよいはず、それで100日ではなく、101日に変更したのかも知れませんねえ?

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橋を渡ると、上り階段。右手に石碑・石仏が並ぶようです。と、思ったら「釈迦涅槃像」の説明が出ていました。本堂内に置かれて居ますが、撮影禁止なので、本堂脇に貼ってあった写真を一緒に並べておきます。江戸時代の作と書かれいてますから、このお寺もきっと江戸期に出来たものでしょう。ただ、浄土宗なのに何故「阿弥陀」を本尊にしていないのか? ちょっと不思議です。
「新編相模国風土記稿」で、「大山」の入口である「坂本村」に浄土宗の寺がないか調べました。すると一つ発見。『西迎寺 誓正山引接院と号す、浄土宗、江戸芝増上寺末。開山西蓮社迎誉来給。本尊弥陀』、山名が同じですから、この後身なのでしょうか?

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m99-37-05 F5001涅槃像写真

m99-37-06 F4971では、石仏のほうを見て行きます。右手の石垣の上に、いろいろおられますね。奧に見える建物は、人間の住まいのようです。m99-37-07 F4973

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お地蔵様ばかりで無く、観音様の集団もおられました。三十三観音のようなものがあったのかも知れませんね。先ほど引用した伊勢原市の記事に隠れキリシタンの仏像の事が書かれていましたが、どれか分からないほど沢山の石仏が並んでいました。

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m99-37-10 F4984その中で、木瓜爺を呼んで下さったのは、洞窟に隠れておられた下の写真のお地蔵様。m99-37-11 F4987

三体のお顔が特徴あります。真ん中のお地蔵様は「少女」に見えます。両脇は「いたずら小僧」だなあ・・このお寺の石仏方とのんびりお話ししていると、どんどん時間が過ぎて行きそうです。本堂におまいりしなくちゃ・・・ここが、受付ですね。本堂はこの左。

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m99-37-13 F5003涅槃寺本堂

ガラス戸で仕切られていて、反射が強くて中がよく見えませんが、中央に涅槃像がありました。浄土宗のお寺ですが「南無阿弥陀仏」ではなく、「南無釈迦牟尼仏」の方をとなえて合掌。本堂の前に、もう一群のお地蔵様がおられたのですが・・六体ですが、六道地蔵ではなくて、「わらへ地蔵」。どういうことなのか? 説明板がありました。

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「笑へ地蔵」と「童地蔵」を引っかけているのですね。無心になって、この愛くるしい地蔵様と遊んでくださいという、このお寺の住職だった方の願いなのですね。m99-37-16 F5007

入口の橋の上流には、小さな滝もありました。こわごわ覗いています。では、参道に戻ります。

「涅槃寺」のHPを見つけました。写真も沢山入っています。「百一日供養」の一部分をコピーさせていただいて、ブログの補充をしておきましょう。『百一日参りの由来:亡くなられた方の霊は四十九日まで其の家の棟の下にいて五十日めから黄泉路の旅へ出発します。 残された家族が四十九日に菩提寺に上げる四十九個のおもちを一日一日のお弁当とし、 家族の方が毎日お佛壇にそなえるお水でのどをうるおし百ヶ日めに極楽の門に至り佛様に成られます。百一日は佛様と成られた故き人が御先祖様の仲間入りの為に我が家へ帰る日であり家族の方は故人が無事に成佛したお礼詣りに大山茶湯寺へ参拝しますが、 それを知っている佛様は茶湯寺の石段で家族の来山を待っているといわれます。

大山の茶湯寺は開山以来九百年の傳燈を継承する秘法百一日茶湯供養を奉修しますが、 此の日供養したお茶がそれまでのお水にかわって新しい佛様に御先祖様と同じようにお茶湯するお佛壇の最初のお茶になるわけです。茶湯寺参りの道すがら又帰り道によく似た人に逢えるとか聲を聞くとかいわれるのは茶湯寺の石段で待っていた故人の霊の喜びの表現かも知れません。浄土宗のお寺ですが、百一日参りは宗派を問わずご供養いたします。』なのだそうです。
49+49=100というのは、計算が合わないですが、まあいいや・・・さて、ケーブルに乗らなくちゃ・・写真を調べると、ケーブル駅には、もう一日掛かりそうです。

(10/16 追記:「来迎院」というお寺は、もう少し東南の名前がありました。女坂には関係の無い場所です。後身なのかどうかは未調査。一応付記しておきます。)

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