2016/10/15: 大山詣り;木瓜爺撮歩99-39-2 雨降山 大山寺〔2〕 (No.2834)

それでは、境内を一通りご案内しましょう。ダブりますが、境内図を入れておきます。

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m99-39-30 F5061正面の階段を上がって、すぐ右にあるのが、「大師堂」です。石段で上がった息を鎮める為の(?)ベンチも置かれています。「大師堂」ですから、弘法大師が祀られているのでしょう。しかし、このお寺の住職さんは凄いのですよ。初代は、開山は、なんと奈良の東大寺を開いた「良弁僧正」、この「良弁僧正」に関係するお堂が坂本村にあった「良弁堂」で、そこには猿に抱かれた赤子の良弁と四十二歳の良弁像の二つがあると「新編相模国風土記稿」に「絵」付きで記されています。この「良弁堂」は、バスの終点の近くにあるそうですが、今回は確認出来ませんでした。なお、境内地図には「大師堂」と書かれていますが、このお堂は「開山堂」ではないかと思うのです。「開山堂」であれば、「43歳の良弁像」も納められていると聞いています。42歳と43歳、言い伝えの違いはありますが、同じ像なのでしょうか? で、二代目の住職が、行基の高弟「光増和尚」。三代目が、「空海」つまり弘法大師なのです。三代揃えて「開山堂」に祀りたい顔ぶれですね。

m99-39-20 F5060 なお、大山寺の開山は、天平勝宝7年(755年)なのですが、元慶3年(879年)に大火がおきて一山の伽藍を焼失しました。多分、空海さん(835年没)の次の第四世のあたりでしょう。884年頃、再興したのは第五世の「安然和尚(天台宗)」で、この方は「五十音の創始者と伝えられる」僧ですが、ここを「伽藍を再興。華厳・真言・天台の三宗兼学の道場となした。これより大山は別当八大坊をはじめとする僧坊18ケ院末寺3、御師300 坊の霊山として栄えた。」とHPに記載されています。・・まさに、中興の祖ということです。では、本堂にお参りしてきます。本尊は恐れ多くて撮せませんでしたので、HPから借用します。m99-39-14 F5057

m99-39-15 hpよりこのご本尊は「国宝」なのです。不動明王を、制多迦童子、矜羯羅童子・・向かって右がコンガラ童子ですね、札が写っていました。堂内には、見応えのあるものがほかにもあります。m99-39-17 F5067

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「新編相模国風土記稿」の記述翻案を途中で中断していましたね。ちょっと続けます。

『大山:(前略)・・頂上に登る路は、堂の背後左方にあり、凡そ28町(約3km)を登って石尊社に至る。以上の山路、最も嶮岨にして、頂上は常に雲霧深く、ややもすれば、大いに雲起こり、たちまち雨をふらす。この雨山の中のみで他には降らないので、土人は私雨という。雨降山(大山の別名)の名前はここから来ている。山中寒気早くはじまり、初冬には既に雪が降り、季春にもまだ消えない。』 深山幽谷と云われそうな記述が続きます。丹沢山塊では、蛭が岳(1672.7m)、丹沢山(1567.1m)など、1500m級の山が並んでいますが、その端っこの方にある大山が独立峰に見えるので、高く感じるということもあります。

「新編相模国風土記稿」では、「大山寺の境内図」が三枚あり、「前不動邊図」では「大山町」から階段を上がって「前不動堂」の広場につき、お堂の向かって左に女坂の路、右には「階段」の男坂が描かれています。続いて「不動堂邊図」があり、階段に続いて楼門が描かれ、石畳を経て不動堂につきます。石畳参道の右手には「鐘楼」があり、左の方には「御輿藏」、「本地堂」、頂上への石段などが書かれています。不動堂の背後には、「山王社」「羽黒社」「浅間社」などが並んでいます。本堂の向かって右のほうに「寶蔵」も見えます。三枚目の「石尊社邊図」では、山頂に「石尊社」「大天狗社」「風雨神社」「小夫利社」「徳一社(?)」などが描かれています。この三枚を見て感じるのは、当時は「阿夫利神社下社」に相当するものは無かったということです。多分、当時の「大山寺」が、神仏分離で、下社と不動堂(現 大山寺)に分かれたのでしょう。つまり、神仏分離令が「阿夫利神社」を作ったのです。

なお、「石尊」のことをご存じない方のためにちょっと説明を追加しておきます。

『石尊信仰とは、神奈川県伊勢原市にある大山山頂の石尊大権現(現在の阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ))を中心とする山岳信仰です。「石尊」は山頂の岩石に神々が降りると信じられていたため名がついたとされ、ここでいう神々とは、大山が雨降山(あふりやま)と呼ばれていることからも分るように、農耕の神、雨乞いの神である。』という所でしょうか。関東各地で「阿夫利神社」の名前を刻んだ灯籠などが見られますが、この「石尊信仰」の講中が、地元の「雨乞い」のために奉納したものと思われます。

m99-39-19 F5068大山寺の境内に戻ります。まず目に付く立て看板。この大山寺は、檀家のないお寺なので、お賽銭を上げなかった方も、境内管理費として、300円協力布施して下さいという願いです。当然ですね。紅葉や桜の観光客もご協力ください。

そして、「かわらけ投げ」の場所です。不動堂のナナメ前方にありました。平日はあまり人気がないようで、木瓜爺が、この境内をうろついている間は0でした。

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「かわらけ投げ」は「厄落とし」ですから、きっと混む時期があるのでしょう。次は、不動堂の横にある「宝篋印塔」。

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登山参拝の方は塔の周囲を時計回りに三回まわってお祈りしなさいと書かれているのm99-39-24 F5092で、木瓜爺も三回まわりました。コーナーには、こんな物が置かれています。よく分かりませんが、六角柱。 霊験あらたかでしたよ。明日書きますが、500段ほどの山路階段を上がってしまうのですから。

この奧に、頼朝が佩刀を供えて祈ったという童子達がおります。この左に「倶利伽羅竜」もいます。

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これは、鐘楼。次は「稲荷大明神」。「木遣塚」などというものも建っていました。

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詳しく見ると、まだまだ面白い(?)ものがありそうですが、そろそろ、下社への移動を考えます。せっかく、大山に来たのだから、不動様と宝筺印塔のご加護を信じて、山路をたどることにするか・・・境内図のトイレの所からでて、「無明橋」をわたってゆきます。

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