2016/10/30: 北小曽木漫歩;木瓜爺撮歩36-13 夕倉・薬師堂と地蔵 (No.2849)

「奥多摩工業」という会社は、奥多摩駅付近にいろいろ施設があって、散歩ブログにはよく出て来ます。太平洋セメントの系列会社ですが、この北小曽木(正しくは靑梅市成木8-868)にも「青梅工場」と「砕石営業部」があります。石材を作って販売している訳です。木瓜爺は、今、その工場の横を通過中です。

m36-13-00 F5295 奥多摩工業採掘所

昔の小名(字)は、多分「夕倉」だと思いますが、確かではありません。なお、この「夕倉」ですが、「新編武蔵風土記稿」では「夕倉山」に幾つもの神社が記されています。多分今は石灰石採取の場所になってしまっているのでしょう。地図上では何も見当たりません。「おいおい、木瓜爺、工場に見とれて、挨拶なしかい?」お地蔵様に呼び止められました。道路左のちょっと高い所におられます。

m36-13-01 F5297 薬師堂後方に、東向きのお堂もありますね。何だろ? m36-13-02 F5299お地蔵様の右の石碑は「三界萬霊供養碑」、左は「千部供養塔」と彫られています。「千部供養」というのは、「大乗妙典」つまり「法華経八巻」を「一部経」として、1000回詠むという供養のことです。「大乗妙典」は六万九千三百八十四文字だそうです。大変な作業ですね。

坂道を上がって、お堂の前に行きました。m36-13-03 F5300

m36-13-04 F5301額ー天寧寺書

 

「薬師堂」と書かれています。天寧寺の和尚の筆のようです。「新編武蔵風土記稿」に「薬師堂」がかかれていたなあ・・でも、場所が違うようです。これは小名「蜆澤」となっていますね。もっと東にある場所です。何かの都合で引っ越されたのか、別の物なのか、引用しますので、考えてみましょう。『薬師堂 年貢地十二間四方 小名蜆澤にあり 堂は二間四方にて東に向へり 本尊は立身の木像にて長二尺二寸許なるを安す 蜆澤院の持』

m36-13-05 F5302薬師如来ガラス戸は閉まっていますが、薬師様が見えます。これは、木像でしょうが、坐像ですね。大きさもずっと小さいようです。本尊的には別物でした。

ともあれ、お薬師さまには「病気治癒」をお願いしておきます。また、道に戻って、東に進みます。m36-13-06 F5303

 

m36-13-08 F5305多少低い場所に建てられた二階家なのですが、どうも「いろり」か「薪ストーブ」・・「薪」が必要な生活らしい・・かなり大量に準備されているようです。急に寒くなってきましたからねえ・・・m36-13-07 F5304

m36-13-09 F5306橋を渡りました。「立ヶ谷上橋」です。小名「立ヶ谷」という地域に入ったのでしょう。この先が「正澤」です。もう少しです。道路の右側に集落が出来て居ました。入って行く道もありますが、これは旧道の名残かも。

m36-13-10 F5308

 

m36-13-11 F5309おやおや? 狭苦しい所におられますね。おまけに、首なしになったお地蔵様。でも、ちゃんとお供えして祀っています。心優しい住人がおられるのでしょう。m36-13-12 F5311

 

m36-13-13 F5313「北小曽木ふれあいセンター」という看板が見えます。うーん、どうも廃校になった、小学校の再利用のようです。

あと、100m程で、「成木8丁目自治会館」に着きますが、その真ん前あたりに右に入る道があり、其の先300m強で「正澤寺」に着く筈なのですが・・・少し、疲れてきました。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中