2016/11/05: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-49 黒山・熊野神社 (No.2855)

m88-49-01 F3800黒山バス停の一つ手前が「神社前」でした。そこが「熊野神社」であっただろうと見当をつけて、後戻りして行きます。丁度次のバスがやってきました。

神社前のバス停よりも少し手前で、「熊野神社」を見つけました。「村社 熊野神社」の石柱が立っています。この神社は「新編武蔵風土記稿」に記載された神社です。m88-49-02 F3801 熊野社

 

『熊野社 慶安二年 社領三石の御朱印を賜う 當社は西戸村山本坊の進退する處なり 按に堂山村最勝寺に蔵せる大般若経の奥書に応永廿四年五月十九日入西郡吾郡越生鄕新熊野常住執筆良観と記し及同年六月廿日 武蔵国吾郡小山一乗坊新熊野なりと記せしもあり 社は元より山本坊の預かる所なれば自ずから別社なるへけれど又此越生の内に 小山と号する所も今その地なけれは彼新熊野と云ふもの當社のことなるも知へからす』

m88-49-03 F3803何だか難しいです。山本坊の熊野社なのか、一乗坊の新熊野社なのか、よく分からないという事ですかねえ? いや、どちらも此所を指しているらしいという結論らしい。この山本坊とか一乗坊とかいうのは、山岳修験道場なのでしょう。階段を上がって行きます。右の方にあるのは旧階段でしょうか? 社殿の前には、灯籠が立ち、狛犬もおります。

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狛犬は「昭和生まれ」のようです。「阿」が向かって左にいますね。普遍的な並びの逆です。「吽」が子獅子を抑えています。

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社殿に進んで、お詣りして行きます。これ以上身体がふらつきませんように・・m88-49-08 F3811

 

社殿の後部の覆殿はありません。つまり、此の社殿のなかに、神棚があると言うことです。

黒山の観光スポットの案内では、この神社をこうm88-49-09 F3812説明しています。『黒山熊野神社:熊野神社は古くは将門宮と称した。同じく黒山にある榛名宮と愛宕宮をあわせて熊野権現(熊野三山)としたのである。平将門の後裔といわれる栄円は関東に修験道を広めるために、応永5年(1398)に黒山の山本坊を開いてその拠点とした。その後、修験者の道場として栄えたが、明治元年の神仏分離令によって熊野神社とされ黒山の鎮守様となった。社殿は昭和60年に焼失、同63年に再建された。』

そういえば、「新編武蔵風土記稿」でも、熊野社の後に、『神楽堂』『天王社』『金毘羅社』『愛宕社』が並んでいました。「栄円」の名前は、昨日の女滝前の説明板に書かれていましたね? スミマセン、もう忘れています。最近はブログという外部メモリーに移してしまうと、頭の中がクリアーされるようになりましては・・・そうそう、この「新編武蔵風土記稿」の「神楽堂」には、本地仏である「薬師如来」が祀られていたと書かれています。この薬師様の引っ越し先を今回最後の方でお訪ねしますからね。

m88-49-10 F3814境内裏山に境内社を発見しました。m88-49-11 F3817

 

近づいて何神社か確かめたのですが、分かりm88-49-12 F3819ません。ただ、横に「打ち出の小槌」が転がっていたので、大黑様などが祀られていたのではないかと思います。社殿から女坂のほうを下ると、広場があり、藏みたいな建物や、会館的な建物が並んでいました。この白壁の網戸を覗きましたが、祭の道具などが入っているようでした。御輿庫かもしれません。m88-49-13 F3825

神社を出た所にバス停がありました。次に寄るのは「全洞院」なのですが・・「新編武蔵風土記稿」では、音はおなじですが、異なる文字で登場します。

川の向こう側にあるようです。橋を見つければよいのだ・・

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