2016/11/06: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-50 岩松山 全洞院 (No.2856)

神社前バス停から、少し越生の方に戻ります。此路は、ウォーキングの道になっているようです。「ヘルスロード」などという看板がでています。m88-50-01 F3826全洞院

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ほんの少し戻った所に橋があり、袂に「全洞院」の標識が出ていました。このなまえ「ぜんとういん」と読むらしいのです。というのは、「新編武蔵風土記稿」の「黒山村」にある曹洞宗のお寺は『全東院 曹洞宗龍ヶ谷村龍穏寺末 岩松山と号す 開山喜州善欣 天文五年九月二十三日 示寂せり 本尊は弥陀を安す』と書かれています。 標識を見ると龍穏寺までは2.7kmとなっています。橋を渡ると、左側に建物?「おひまつぶし処 年中無休」?m88-50-03 F3829無料休憩所なのか? トイレなのか? お楽しみに取っておきましょう。手洗いのようなものが見えて居ますね。正面には、寺の説明板がありました。「新編武蔵風土記稿」より詳しくなっています。元々は「山本坊」の本坊だったと推定されるとのことです。「渋沢平九郎」(渋沢栄一の義弟で、飯能戦争賊軍の参謀)の墓は、寺の後ろの墓地のてっぺんのほうにあるそうです。m88-50-04 F3830

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現在は、無住の寺で、本堂前にも行きにくいようにロープで通せん縄?が張られていました。ちょっとまたいで、石段を上がります。m88-50-07 F3835

 

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階段の右側に、地蔵菩薩が留守番しておられました。本尊は「阿弥陀如来」のままで、合わせて「布袋様」が置かれて居たようです。曹洞宗なのに弥陀が本尊というのは、修験の寺が滅びかけた時に、曹洞宗の僧侶が復活させたのでしょうね。それが、説明板に書かれていた中興者でしょうか?

こんな処で失礼して、龍穏寺方面に向かいましょう。龍穏寺に向かう分かれ道までは100m程です。m88-50-09 F3847

 

 

途中に「三つ葉つつじ園」への道が一本ありました。もう少し先のようです。越生の方に戻って行く街道は「さるすべり街道」と呼ばれる道のようです。

m88-50-10 F3848その道に地蔵堂を見つけました。m88-50-11 F3849地蔵堂

 

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横の方にも小さな地蔵菩薩がおられます。「新編武蔵風土記稿」では、黒山村には、龍穏寺末の「長常院」、山本坊配下の「覺浄院」「徳正院」などが記録されていますが、現在はないようです。

なお、龍穏寺というのは、「龍ヶ谷村」の属しています。

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