2016/11/08: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-52-1 長昌山 龍穏寺〔1.冠木門前の観音像〕 (No.2858)

そろそろ「龍ヶ谷村」に入ったようですが、どのあたりが村境だったのか? 「龍穏m88-52-01 F3889寺」門前の山を「羅漢山」と呼ぶ等と書かれていますから、横吹峠などの尾根筋で分けていたのでしょうか?m88-52-02 F3892

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谷を巻きながら下ってゆきます。そういえば、先日、軍畑から成木のほうを歩いた時に、興味ある問題にぶつかりました。地名の話なのですが、「沢」と「谷」はどう違うのがという事なのです。「**沢」と「**谷」、同じような地形でありながら、全国的に分布を調べたら、思いがけないことが見つかったといいます。木瓜爺自分では調べていませんので、これは受け売り・・・県別に調べた所、西日本では「谷」が圧倒的。東日本では「澤」が圧倒的になるのだそうです。その中間点は「北アルプス」のラインだとのこと。この方は、その原因を、弥生人と縄文人の文化に結びつけて、縄文人の勢力圏は「澤」で、弥生人の勢力圏は「谷」を使ったのだろうとされています。木瓜爺の勢力圏?では、「谷」も「澤」も共存しており、感覚的には、「谷」は左右の山が切り立って、「深い凹み」になっている場所、「沢」は谷が広かったり、凹みが浅い場所で使われているように感じていました。

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谷を隔てて向こう側の山を見ています。このあたりの山には名前があるのかなあ? という程度の知識しかありません。もっと右の方ですと「大高取山」なのですが・・m88-52-05 F3901やっと、下りきりました。

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下の道に出ました。「龍穏寺」の反対方向を見ています。帰り道の様子を見ているわけですが、ここも歩道は無い道のようです。この道を進むと「上大満バス停」まで1.4kmだと書かれていました。m88-52-07 F3904「龍穏寺」までは400m。

道路の向こうに「下馬門碑」がありました。「龍穏寺」に参詣する人は、ここで馬を降りることになっていたようです。m88-52-08 F3908

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川と道路の間の僅かな土地に、散策路があるのか、「清流小道」と書かれた標識がありました。帰りに寄ってみようと思ったのですが、すっかり忘れてしまいました。

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m88-52-11 F3917「龍ヶ谷川」をわたります。この川の左岸側から、「圓通寺」の方に行く道があるようです。3.4kmと書かれています。途中に「代官屋敷」などがある道です。この道標の数メートル先に、「宝筺印塔」が立っていました。m88-52-12 F3918

 

 

スミマセン、ちょっと変換辞書が不調、登録された単語が呼び出せない・・辞書まで呆けてしまったのか・・・「補陀落」というのは、観音様のお住まい。「補陀」も同じ意だとしています。1894年から此所に立っているのですって・・地震で落ちないのが不思議です。

感心して、元の処に戻ります。

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「龍穏寺」入口にも、観音様と地蔵様が居られます。うーん、ここで一休みしなさいと云うことかな。「地蔵尊」は普通の「延命地蔵」様のようです。

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この「観音様」が凄い! 一見普通の観音様に見えたのですが、腕が多いのです。六本あるらしい。先ほどの「宝筺印塔」と同じく檀家の方々が建立されたと書かれています。m88-52-15 F3924

「六臂の観音」というと、「如意輪観音」が多いのですが、これは「正観音」の珍仏らしいです。

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