2016/11/09: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-52-2 長昌山 龍穏寺 〔2. 山門と鐘楼〕 (No.2859)

冠木門(かぶきもん)を通って、境内に入ります。この「長昌山(ちょうしょうさん)龍穏寺(りゅうおんじ)」は、山門が幾つもあります。この冠木門に続いて惣門があり、そこで右折すると、その奧に楼門があります。HPでは、これを「山門」としています。この楼門、仁王門と書かれた案内記事もありますが、仁王様ではなくて、四天王ですから、四天王門ですね。そこを過ぎると、左手に守護神社の熊野神社があり、正面は一段高くなっていて、右手に鐘楼が見えます。もう一段上にm88-52-18 F3930本堂と庫裡が並んでいるようです。ただし、鐘楼と庫裡の間には、もう一つ門が付いていました。とにかく、昔は凄いお寺だったと想像出来ます。詳しくは、「龍穏寺 越生」で検索すると、龍穏寺のHPが出てくると思います。こちらの住職さんは、元ITエンジニアだったそうです。外注丸投げのHPでは無いようで、読者目線の有難いHPです。この「よく出来たHP」があるので、木瓜爺ブログにゴチャゴチャ書くのが嫌になりました。とはいえ、何か書かないと行った意味がなくなりそうなので・・・ともかく、冠木門をくぐって、進みます。左側は道路です。この道路「野末張見晴台」を通って、「関八州見m88-52-19 F3933晴台」の方までずーっと続いて居るようです。かなり、運転技術を問われる林道らしいですが・・・暫く進むと、惣門が見えて来ました。惣門前には大きな石灯籠があります。m88-52-20 F3935

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惣門の前には、地蔵堂もあります。左m88-52-22 F3940の石は「禁葷酒」。額は「龍穏寺」。曹洞宗でも上位にランクされる(?)寺院だそうです。というのは、こちらの住職を務められた方で、永平寺の貫首までなられた方が、今までに13名おられる。末寺の数は、60程あるようです。

このお寺も、最初は山伏・修験者の寺だったそうで、その時の名前が「瑞雲山 長昌寺」だったとのことです。場所は現在よりも少し東にあったようです。この「龍穏寺」という名前、及び「龍ヶ谷」の名前は、龍神伝説に由来しているとのこと。HPの解説によると、『第五世『雲崗舜徳』和尚の頃、龍神伝説が生まれます。伝説の内容は、「その昔、龍穏寺のあたりは大きな沼でした。秩父に向かう旅人は、どうしてもこの深い沼の側を通っていかなければならなかったのですが、そこには悪龍が住んでいました。村人達はこの沼に住む悪龍の機嫌を損ねないようにお供えをして、あちこちに龍神を祭り、荒々しい心を鎮めるように祈りました。その恐れおののく声は太田道灌さんまで伝わり、村人の切実な願いを聞いた道灌さんは、この悪龍を鎮めるために、日頃より師として尊敬している高僧の雲崗俊徳和尚(龍穏寺第五世住職)を遣わしました。雲崗俊徳和尚は、沼を目前とする愛宕山に登って教典を読み上げ、幾日もの間、悪龍を押さえ込む闘いが続き、やがて雲崗和尚さんの霊験によって悪龍は過去の悪行を断ち切って、善龍となって奉仕することを誓いました。そして、雲を呼び竜巻にのって天に昇っていってしまったということです。その時、沼は竜巻が起きたため大嵐となり、水があふれ出て沼の底まで見え、数年経って平地となりました。あふれ出た水は現在の越辺川になったといいます。雲崗和尚さんは、龍の心が静かになり善龍になった事を記念し、道灌さんに援助をお願いして大きなお寺を建てました。そのお寺の名前は、龍の心が穏やかになったという意味から、龍穏寺と名付けられたのです。そして龍が住んでいたということから龍ヶ谷(たつがや)という地名が生まれたということです。」(この伝説の原型は「長昌山龍穏寺境地因縁記」に記載されています。)

雲崗和尚は龍退治の後、平地となった土地を開墾し、その地にお寺を移しました。そしてお寺の山号寺号を『長昌山・龍穏寺』とし、末永い発展を祈ったのです。雲崗和尚の祈り通り、この時代から先、龍穏寺はますます発展して行く事となりました。』なのだそうです。m88-52-23 F3943 龍穏寺四天王門木瓜爺の想像ですが、このお話は、山伏・修験者の寺から、本来の仏教の寺への変化を寓話化したものだろうと思います。ただ、「新編武蔵風土記稿」にも面白い事が書かれているのです。長くなるのでその話は明日にでも書きましょう。

こちらが、HPで「山門」としている「四天王門」。四天王像については、残念なことに、張ってある金網が細かくて、写真はうまく撮せませんでした。彩色木像です。楼門の素晴らしさが撮せるか? 拙い部分撮りですが、全体を想像して下さい。m88-52-26 F3947 楼門m88-52-27 F3948

 

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このお寺の重要化財は3箇所あるのです。「龍穏寺」は何回か火災で焼けていますが、最後の大火が大正二年なのです。この火災で本堂など数堂が焼け落ちてしまいますが、山門・経堂・熊野神社などは罹災を免れました。今「山門」を拝見しましたので、「梵鐘」を見に行きましょうか・・・この立て札に、江戸城のことが書かれていますが、境内二箇所に江戸城外堀の石垣石が置かれていました。あれが、「八徳の三吉」の作品?なのでしょうか?

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m88-52-29 F3957本堂の方向を撮したのですが、明暗差が大きくて、失敗しました。右上に鐘楼があります。左に鳥居がみえるのは、前述の熊野神社です。石段に行く前に、観音様などもおられます。とにかく、鐘楼へ・・m88-52-30 F3960鐘楼

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鐘楼に一鐘は吊られていますが、もう一鐘は地べたに置かれて居ます。同形のものです。m88-52-32 F3963

この「吊り金具」部分に特徴があるのだそうで、龍が彫られているのですが、通常は二頭の龍なのに、「龍穏寺」の鐘は一頭なのです。非常に珍しい形式であるとHPに書かれていました。

鐘楼の前にあった庫裡への門です。こういう位置に門があるのも、ちょっと珍しい気がします。m88-52-33 F3964

続きは、明日に・・・

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