2016/11/11: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-53 龍ヶ谷 熊野神社 (No.2861)

新しいブログライターを使い始めましたが、投稿時に写真がみえなくなってしまうという現象が残っています。レイアウトとも関係があるようです。テスト投稿では、左右に写真をおいて、間に文字をいれたものも受け付けてくれたのですが、本番になりますと又気が変わってくれるのかの知れません。カテゴリーに関しても、同様な自然消去が発生して、編集しなおしをしたりしております。

m88-53-01 F4036熊野神社さて、「龍穏寺」の「守護神社」とされる「熊野神社」の紹介に移ります。入口は、二箇所あります。一つは林道から直接入り、もう一つは龍穏寺境内からです。寺の方から入ると、社殿の横から入ることになります。右は、林道側の鳥居です。ここには、「村社熊野神社」の石柱が建っています。寺の境内側の鳥居は下の写真。m88-53-02 F4001熊野神社

 

この入口の方に、「電灯」が点いた時の記念碑がありました。m88-53-03 F4002電灯記念碑

 

 

 

 

 

この山の中に電気が来たというのは大変な事だったのでしょうね。

m88-53-04 F4004 熊野神社社殿

小形に見えますが、素晴らしい神殿なのです。わりと新しく見えますが・・・天保年間の製作らしいですよ。

m88-53-05 F4006

m88-53-06 F4007

狛犬の写真の間に文字を書いています。ブログライターでは、こういうことが出来るのですが、はたしてWEB側で受付けてくれるかどうか 不安です。テスト投稿では大丈夫だったのですが、レイアウトが乱れたら、上手く行かなかったということです。

社殿に進んでお参りします。神額には、「熊野三社宮」と書かれているようです。「新編武蔵風土記稿」では、『熊野社 第三世泰叟の勧請する所 境内の鎮守なり』とあります。埼玉県神社庁の「埼玉の神社」では、「社殿によれば明応元年に龍穏寺第三世住僧泰叟如康が紀州熊野本宮の産たるにより勧請し寺鎮守にしたという。本殿は龍穏寺の境内社として五十六世・道海和尚の時代、天保十五年(1844)に再建されたもの。拝殿と本殿がつながった権現造りである。」となっています。ここに書かれた、拝殿と本殿のつながりが珍しいのです。御祭神は「伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊」とのことです。m88-53-09 F4009m88-53-10 F4011

 

 

 

 

 

 

 

珍しい部分をお目に掛けましょう。こういうことになっているのです。m88-53-11 F4016m88-53-12 F4018

 

m88-53-13 F4020社殿の後ろに沢山の境内社長屋が出来て居ます。木瓜爺に分かったのは「三峰神社」だけでした。そこは御札が祀って有ったのです。この中に「三峰神社」がありました。

長屋部分は、パノラマです。

m88-53-14 F4023

「村社」になったのは、神仏分離以降のことで、江戸時代は格式の高い「龍穏寺」の鎮守でしたから、庶民は簡単にはお参りできなかったと云います。ですから、ここに集められたような小社が、あちこちにあったのかもしれません。

書くことはまだあるのですが、投稿失敗することも計算にいれて、一息入れます。

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