2016/11/15: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-57 大満の子育て地蔵 (No.2865)

昨日ちょっと触れた「大満寺」は「福寿山」と号し、「龍穏寺の末」だと云います。「新編武蔵風土記稿」を読み直すと、その前身らしいお寺がありました。『天満寺 曹洞宗龍ヶ谷村龍穏寺末 福寿山と号す 薬師堂』薬師堂を持ったお寺だったようです。m88-57-01 F4224機会があれば、訪れて見たいと思います。越生のガイドマップにも名前が印刷されていましたが、天眼鏡で覗いてやっと大の字が分かったような、極小文字なので見落としたとしか云いようがありません。さて、八幡神社を出た木瓜爺、県道61を北北東に進んでいます。左手は畑、ちょっと気になったのは、あの、壇のような場所です。昔、何か寺社か祠でも有ったような感じです。m88-57-02 F4226

そうそう、今日のブログから意識して写真の位置を決めることにしてみました。原則的なものですが、木瓜爺が左向いてシャッターを切った写真は左側に配置してみます。逆に右向いて撮したら右に配置します。正面は真ん中と云いたいのですが、文字を左右に分割して書くことは出来ないようなので、正面は適当に扱います。橋を渡り、浄水場とかいうバス停を過ぎてからだったと思うのですが、道の右側に、ブロックで作られた構築物を発見します。m88-57-03 F4228というわけで、これは右に置きました。横に杭が立っているようです。道路を横断しm88-57-04 F4230大満の子育地蔵尊て見に行きました。「72 大満の子育て地蔵尊」と書かれています。どれどれm88-57-05 F4231子育地蔵?という感じで、お地蔵様とご対面です。台座の下の石に、子育てとは違う文字を見つけました。「念仏供養 元文三戌午年」とあります。

m88-57-06 F4233

1738年徳川吉宗将軍の時代です。念仏供養が行われて、建てられた延命地蔵を村人達が子育ての守りとして崇めたということなのでしょう。m88-57-07 F4235

木瓜爺再び、道路の左の歩道に戻って歩き始めました。圓通寺は右の方がよいのですが、左にまた越辺川が接近してきたようです。そうだ、看板をお見せしますね。

”Oppe River”m88-57-09 F4238m88-57-08 F4237

 

 

 

 

 

ここから、道路の左側の平地が広がりだします。「建康寺」などは、この川の左岸にあります。         m88-57-10 F4245「あじさい街道」の入口がありました。2.5km程先に「あじさい山公園」というのがあるようです。公園の500m程手前に「住吉神社」が有るようです。まだまだ越生は歩けます。・・・なんて、考えていて、あぶなく圓通寺方向の標識入口を見落としそうになった木瓜爺です。m88-57-11 F4247

 

 

 

 

 

m88-57-12 F4248

この「龍穏寺」3.2kmというのは、龍穏寺から代官屋敷のある道の方を通ってくると、ここに出てくるという事のようです。

「麦原入口」というバス停がありました。この「麦原」というのは、1.5km程先にある地名です。
そろそろ、道路の右側に移って、圓通寺にはいる道を見つけます。

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