2016/11/16: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-58 大護山 圓通寺 (No.2866)

そろそろ、昔の「小杉村」に入ったようです。これから行く「大護山圓通寺」も「龍穏寺」の末なのですが、開創の時期については、2説あるようです。一つは越生のタウンページにだけ書かれているのですが、『永享年中(1429-1441)、龍隠寺二世月江正文禅師の時、龍隠寺が兵火の為堂宇すべてを焼失し、戦の最中人でも資材も集まらず禅師一人の力では再建も及ばず、むなしく寺を出て、しばらく小杉村に退棲しました。
そこが今の円通寺の始まりと言われております。』というものです。もう一つは「新編武蔵風土記稿」を初めとして、普通の寺社案内などに書かれている『開山ハ龍穏寺第二十二世(寛文年間(1661~1673))という』説です。両方を信じるとすると、1430年頃草庵的なものが出来て、1660年以降に中興開山されたと解釈しましょうか・・・

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「圓通寺」方面に入る脇道(写真の右に入る道)に入ります。。この道が再び61号線に戻るあたりに「小杉」のバス停があり、その近くに「越生自然休暇村センター」のトイレがあるようです。「圓通寺」はそのトイレから数十メートル山に近い場所です。それで、脇道の途中から右に入る近道があるだろうと考えたのです。m88-58-02 F4250

木瓜爺が「圓通寺」を訪れるのは、多分三回目だと思うのですが、記憶にあるのは2006年3月のことです。デジタルカメラに少し慣れた頃で、画像も保存されていました。コニカミノルタのα-Sweet を使っています。この時は、越生駅から「法恩寺」の脇を通り「越生神社」の所から、「高取山登山道」に入っています。「大高取山」山頂から眺めた展望を一枚入れておきましょう。低山なので、こんな程度です。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAこのあと、圓通寺に下ったのですが、露座の仁王様が居られまして、まだ寺社散歩を始めていない時期ですから、へーえ、雨ざらしの仁王様も居られるのだ・・と思ったものです。その写真も入れておきますので、後で見比べましょう。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

昔話はほどほどにして、前進! 近道になりそうな道はありました。念のため、丁度そこに立っておられた住人に伺うと、行けるけど、ややこしいから、センターの方から入った方が良いよとの返事。それで、61号との合流点まで直進しました。m88-58-03 F4251 自然休暇村センター

m88-58-04 F4253これが、「越生自然休暇村センター」駐車場というべき場所。余りピンときませんが、たしかにトイレはありました。「圓通寺」へは駐車場の東側の道を入ります。「休暇村センター」の正しい位置は、圓通寺の所で左折して300m程進んだ所のようです。ここは、「農産物・特産物直売所」です。数十メートル入った突き当たりが「圓通寺」です。山から下って来た時は左の方からここに来ました。m88-58-05 F4257 圓通寺

「新編武蔵風土記稿」では『圓通寺 大護山と号す 曹洞宗龍ヶ谷龍穏寺の末寺なり 開山は龍穏寺第二十二世僧なりと云ふ 本尊正観音を安す 薬師堂 愛宕社』と書かれています。小杉村で、一番大きな宗教施設は「天神社」だったようです。多分現在の「梅園神社」でしょう。m88-58-06 F5574

境内に建つ「円通寺」の説明。本尊は「釈迦如来」に変わって居ます。開山は寛文年間、開基は小金井万衛門、開山は龍穏寺二十二世鉄心御州禅師となっています。そして、中興を龍穏寺第四十八世としています。なお、開山後、無住の期間がだいぶ出来たようで、中興ということになったとのことです。どうもタウンページの記述は、民間伝承の域を出ないようですねえ? ただ、ここも大正13年焼失しているので、寺伝書は焼けてしまったのかも知れません。本尊の変化とも関連しそうです。。m88-58-07 F4263

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仁王様は、お変わりないようです。十年前の写真と太陽の位置が違うので、余分なフレm88-58-08 F4271m88-58-09 F4268アーが入ってしまいました。本堂の左に地蔵堂が有ります。右の方には「薬師堂」。m88-58-10 F4272 薬師堂

三画像横並べは無理かな?レイアウトが乱れたらゴメンナサイです。m88-58-11 F4273

こちらの薬師様は小形の金属仏? 小さな厨子を開いてお姿を見せてくださいました。真言でご挨拶します。

境内には、他にもいろいろおられます。m88-58-12 CF5560

こちらは「七福神」の「寿老尊」

「寿老人」と「福禄寿」がこんがらかる木瓜爺ですが、名前が書いてあります。この二神、異名同体と言われた時代もあったようです。どちらも「長壽」を願う神様でして、中国「道教」の神様です。現在では二神、別の神様として七福神を構成しています。「寿老人」は身長が三尺つまり1m位しかなくて、頭巾をかぶっておられます。「福禄寿」も背は低いそうですが、頭がやたらに長い老人として描かれるようです。つまり、頭部で見分ければよいらしい。

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境内のもう一つの地蔵堂におられた地蔵尊?足の組み方がちょっと違いますね。でも、下には「奉建立地蔵尊」と彫られていましたから、「地蔵菩薩」で良いようです。ほかにも石佛がいくつかおかれていました。m88-58-14 F5566

 

 

 

 

 

 

境内にある四阿に座らせていただいて、一休みしました。

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