2016/11/18: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-60 清涼山 泰雲寺 (No.2868)

m88-60-01 F5618「建康寺」を出発して、川沿いに「最勝寺」方向に向かいます。入口のお地蔵様の所を左に出て行くわけです。m88-60-02 F5620

 

右下を越辺川が流れています。この川の流れに水車を付けて作業をすることを教えたのが、修験者達出逢った事を、ここで始めて知りました。水流そのものは、多分昔の方がm88-60-03 F5623多かったのでしょうね。「新編武蔵風土記稿」を見ると越辺川について、こう書かれています。『越辺川 大満村より入り津久根村に趙す石川なり その間板橋二箇所あり 川幅二十間或いは二十五間にいたれり』川幅40~50mというのですから、今よりも広いようです。暫く歩いたところで、その場所に付きました。岩の上に顕彰碑らしいものが建っていますが読めないので説明板の方にします。m88-60-05 F5629

『才車は、明和五年(1768)に本山派修験山本坊配下の宝鏡院らが創業した。現在判明している限りでは、越生で最初の営業用水車である』と書かれています。精米、精麦、製粉、製材に使った・・「才車」というのは屋号からきた名前のようですね。ははあ、石碑の横の石は「水天宮」ですか、これは気が付かなかった。

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m88-60-06 F5628どこに水車があったのかよく分かりませんが、多分見ている位置が悪いのでしょう。左の方に、水路に使われたらしい石積が有りますね。このお店が「才車」の名前を譲り受けたお店のようです。「いにしえ水車の鄕 才車 小林商店」の看板が付いています。

このお店の前を通ってちょっと先に分かれ道が現れます。下の写真です。

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m88-60-09 F5637「最勝寺」に行くのは左の道ですが、ここで「泰雲寺」のある右の道に入ることにしました。道はすぐ川を渡ります。渡った所で、左の方を見ると、墓がいくつか並んでいます。個人の墓地のようですが、そのずっと奥の林の方に寺の屋根のようなものもチラッと見えました。意外に近いのかな? と、思ったのですが、入って行く道らしきm88-60-10 F5638ものが見つかりません。どうも大回りして行かねばならないようです。小学校の前を通ってから左折。四角形の三辺を歩くような大回りになりました。どうやら、この梅の木の間の道らしい。建物の所まで行くと、駐車場がありました。そこに「泰雲寺」の文字を発見。一安心というところです。

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m88-60-12 F5643 泰雲寺

 

「清涼山 泰雲寺」曹洞宗のお寺ですから、やはり「龍穏寺」末でしょうか? 念のために「新編武蔵風土記稿」の小杉村を探しますと、この名前ではないのですが、多分この寺の前身かもしれないと思うものが見つかりました。『自持庵 是も龍穏寺の末に属す 本尊(寺の間違いらしい)第四十四世の住僧の開間にて 泰雲山と号す 本尊地蔵を安置させり』・・この「泰雲山」の「泰雲」を寺名にしたように思うのです。そこで、またネット検索。すると「越生七福神」の関連で、「泰雲寺」のHPが見つかりました。それによると、全く違いました。こう書かれています。『泰雲寺縁起;9世紀に開山 :泰雲寺は、地蔵尊をおまつりする曹洞宗の寺院です。由緒は今からおよそ1200年前、往古弘仁年間(810年~823年)だと言い伝えられています。弘法大師にゆかりある法孫超法師という方が、諸国行脚のすえ、当地にすずを納めました。その後、法孫超法師は卯年(823年)に身罷かりましたが、その生きたあかしである墓碑は現在も当地に現存しております。』 木瓜爺としては、ちょっと信じがたいです。龍穏寺とほぼ同時期と云うことですよね。そんな寺が「新編武蔵風土記稿」に収録されていないという事はありえない・・と、感じます。その一方で、HPには、境内にある「大日如来碑」の写真とともに「開祖は室町時代と言い伝えられ、敷地内の大日如来碑が400年の歴史を伝えてきました。」と書いています。先ほどと、まるで矛盾した記述です。でも、こちらの方は正しいと思いますね。弘仁年間説は、伝説ということにしておきましょう。m88-60-13 F5654

本堂は2012に建設がはじまったとのこと。まだ出来たてのほやほやなのでしょう。m88-60-14 F5647本尊はHPの記述でも地蔵菩薩のようですが・・・ガラス越しなので、よく分かりません。頭巾をかぶっておられるようにも見えます。HPでは、こう説明されていました。『お地蔵さまについて:泰雲寺がおまつりしている地蔵菩薩ですが、お釈迦様が入滅し、弥勒菩薩降臨までの間、衆生を救うといわれている菩薩です。いわゆるお地蔵さまです。菩薩でありながら、僧侶のようなお姿をされており、右手に錫杖、左手に宝珠を持っています。とくに子どもを守ってくださるお優しい仏さまです。』

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現在墓地の分譲をPR中ですが、本堂に近い場所には、古い供養碑が集められていました。HPに書かれていた「大日如来碑」は、視覚では意識した覚えがありますが、何故か撮していません。得意のチョイ呆け発生のようです。

では、また橋を渡って、分かれ道の所まで戻ります。

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