2016/11/25: 駒込散歩;木瓜爺撮歩80-18 佛寶山 西光院 無量寺 (No.2875)

「旧古河庭園」を出て、西に進みます。右手に「平塚神社」を見てから左に入るのですが、家内のカンでは最初の道だろうと云います。ところが、木瓜爺の持っている地図では、道がつながらないので、もう一本先だろうと推定せざるをえません。はたしてどちらなのか・・口げんか(?)をしながら歩いています。交差点にさしかりました。m88-18-01 F4472 平塚神社

対角線の向こう側、あれは神社ではないでしょうか。m88-18-02 F4473

 

やはり、「平塚神社」です。近くの「無量寺」持ちの神社だとすると、「神明社」かな?と思ったのですが、実際は、村が異なり「上中里村 平塚明神」という源義家・義綱・義光などの霊を祀る神社でした。木瓜爺一人歩きなら、交差点を渡って覗きにm88-18-03 F4475 無量寺参道入口行くところなのですが・・改めてお参りにくることにします。

で、家内の推奨する「参道らしき道」を覗きに行きますと、これが正解。江戸の「六阿弥陀三番目 無量寺」と彫られた石柱が立っていて、一本取られました。入って行くと降り坂になり、寺の外側をまわって行きます。途中に小門が所々にあるのですが、現在は閉鎖されていて、最後は住宅の路地をすり抜けて、門前に至りました。路地までは地図には載らないようです。m88-18-04 F4477

 

 

鬱蒼としています。山門は中に引っ込んでいるようです。説明板が立っていました。「佛寶山 西光院 無量寺」 無量寺というと「なむあみだぶつ」の系統を連想するのですが、ここは真言宗豊山派。ちょっと意外でしたが、旧名は「長福寺」で、9代将軍家重の幼名長福丸と同じであるためこれを避けて「無量寺」と改めたということで納得。m88-18-05 F4479

 

 

 

山門前に「ことぶき地蔵」さんが引越しておられるのでしたね。あのお堂でしょうか?m88-18-06 F4482無量寺山門

 

 

 

 

m88-18-07 F4483m88-18-08 F4485その前に、もう2体の地蔵様が居られました。ネットを見ていますと「地蔵と羅漢」はどう違うのですか? などという質問をされている方もおられます。地蔵様は「地蔵菩薩」、佛になる修行をされている方ですが、限りなく如来に近づいた位置におられます。一方の羅漢さんは、幅がありますが、釈迦の弟子達という位置です。ずっと人間くさい存在ですね。一人一人いろんな悩みを抱えて、様々な表情をされています。此の質問はよいとして、如意輪観音の石仏を地蔵様と書いておられるブロガーm88-18-09 F4489ことぶき地蔵などもおられるようでして・・・

「ことぶき地蔵尊」は、提灯つきでよく分かるようになっていました。この地蔵様のことは、一昨日のブログに書いています。もともと、この無量寺におられた地蔵様が請われて、日光御成道の方に引っ越しされたのですが、「交通安全」の役目を果たされてこちらにまた戻られたのです。

山門は、近づくと思ったより大きかったです。通行禁止でしたが、左側からまわって入れるようになっていました。

この「無量寺」は門前の説明板にもあったように、「新編武蔵風土記稿」にも書かれています。『西ヶ原村 無量寺   新義真言宗佛寶山西光院と號す 慶安元年寺領八石五斗餘の御朱印を附らる      m88-18-10 F4488古は田端村與楽寺の末なりしか 常憲院殿厳命を以て大塚護持院の末となれり 又昔は長福寺と稱せしを 惇信院殿の御幼名を避て今の寺號に改むと云 本尊不動外に正観音の立像を置 長三尺五寸許 惠心の作にて 雷除の本尊といへり 中興眞惠 享保三年閏正月廿三日化す 今の堂は昔村内に建置れし御殿御取拂となりしを賜りて 建しものなりと云 又境内に母衣櫻と名つけし櫻樹ありしか今は枯たり 母衣の名は寛永の頃 御成ありし時名つけ給ひしと云傳ふ』原文は ひらかなでなく、カタカナなのですが、入力が面倒で・・・このあと、寺宝について記述され、「七所明神社(村の鎮守)」「弁天堂」「阿弥陀堂」「観音堂」「鐘楼」「寺中勝蔵院」などの記述が続いています。大きなお寺だったのですね。m88-18-11 F4493

山門を入って左に、小さなお堂がありました。赤い布が見えたので、お地蔵様かと速断してしまい、中を確かめるのを忘れました。失敗失敗・・ななめ後ろに「鐘楼」が見えたので、それに気を取られたのです。m88-18-12 F4506

 

 

本堂まではかなりの距離。右方にポンプ井戸がありました。墓地へのお参りの時使う井戸のようです。草が絡んでしまっていました。m88-18-14 F4502

 

 

本堂は閉まっていて、中は全く見えません。狸が仁王様に化け損なって、本性むきだしで、左右におりました。本尊は不動様ということで、手を合わせます。m88-18-13 F4497 無量寺本堂

この「昔村内に建置れし御殿」と書かれていたのは、北区の文化財の説明によると「舟山茶亭のことと考えられます」とのことです。「新編武蔵風土記稿」のなかに、「舟山茶亭記」という漢字ばかり並んだ記述があるのですが、お鷹場にあった茶亭のことらしいです。

本堂には、泥棒が動けなくなった本尊の不動様(足止め不動)の他に、阿弥陀如来、がおられると書かれていましたね。これが、江戸六阿弥陀の三番ですが、「新編武蔵風土記稿」には、「正観音」も書かれていました。「上野駒込三十三観音」という霊場があるそうで、それも三番目ですから、観音様もご健在のようです。そうだ、六阿弥陀の説明が抜けていました。江戸六阿弥陀というのは、『行基菩薩が一夜の内に一本の木から六体の阿弥陀仏を刻み上げた阿弥陀仏だといい、阿弥陀仏作成を依頼した長者が六ヶ所に寺を建立、六体の阿弥陀仏を一体ずつ安置したと言われています。』という阿弥陀様なのです。この附近が多いのですが調布あたりのお寺もあります。疎開したためでしょうか?

m88-18-15 F4507

m88-18-16 F4508

 

 

 

 

 

参道横の墓地を見ながら、帰ります。墓地は入れませんが、たまたま戸が開いていたので、歴代住職さん方のお墓を写していましたら叱られました。合掌して退散・・・

此の後、予定に従って昼食をとり、「六義園」に向かいます。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中