2016/11/27: 越生散歩;木瓜爺撮歩88-64 津久根の薬師堂 (No.2877)

再び、越生に戻りました。梅園神社を出た木瓜爺、越生駅に向かって歩き出しました。m88-64-01 F5795梅林の前から来る道と一緒になったところに、「蕎麦屋」があります。昔からのお店で、木瓜爺が時々入ったお蕎麦屋さんです。以前は梅林から出て、このお蕎麦屋さんの所からバスに乗ったような記憶なのですが、道路が新しくなって、バス停の位置も変わり、店が梅林より離れた感じになりました。お蕎麦屋さんの庭先に、お稲荷さんがあるのですが、そこは健在のようです。m88-64-02 F5794

横の方から「コンニチワ」をして、先に進みます。この道は、前にブログに書いた道なのです。19- 越生散歩;木瓜爺撮歩88-45 より損ねた「薬師瑠璃光如来」と「如意山 地蔵院 高蔵寺」 (No.2689)

上記のブログで、より損ねた「薬師瑠璃光如来」に是非お会いしたい(?)わけです。「津久根村」は、「小杉村」や「堂山村」と「黒岩村」の間にあった村です。東西に九町、南北も九町という大きさでした。「新編武蔵風土記稿」の頃にはこういう分類はなかったのですが、現在のバス停などでは、上、中、下と三区分されています。

m88-64-03 F5801津久根村の大きなお寺に相当するのが「地蔵院 高蔵寺」でした。そちらに入って行く道の入口にある「石仏群」です。これを過ぎて少し歩いた所に、「矢崎山」という山があります。以前のブログでは、ここを通過していません。m88-64-04 F5799

 

武蔵国司、源経基(清和天皇の孫で、清和源氏の初代)が慈光寺(ときがわ町にある 板東33観音霊場第九番)の境界(多分寺領のことでしょう)を定める為に放った矢がm88-64-05 F5800ここまで飛んで来たという場所です。飛距離は・・3km以上ありますね、「弓立山」は「慈光寺」からかなり東南に離れています。一番飛んだのは北なのですが、それが南風にのったとすると、逆風だから南に3kmも来るわけがない・・真面目に考えるのはよしましょう。「山」といっても、この程度の森です。ここを通り過ぎると、・・・m88-64-06 F5805

また、平らな梅の畑(?)ですから、「山」と云うほどのものではありません。「山」といえば、「新編武蔵風土記稿」に書かれているのでが、このあたりの山で「砥石」がとれたので「砥山」と呼ばれた山があるけれども、品質が良くないので今は砥石を作っていない、などとありました。見覚えあるお地蔵様。此の横に薬師への石碑がある筈・・

m88-64-07 F5808前のブログで、右端が分からないと書いています。今回よく分かるように写しました。m88-64-08 F5809これは「庚申塔」のようです。下部のちょっと膨らんで見えるところが「三猿」なのです。

そして、「薬師瑠璃光如来」の石碑です。前回はお堂に行く前に右折してしまう失敗をしましたので、今回はちょっと奥の方まで歩いて見ました。ゴルフ場に入る道でした。道が本格的に坂道になる手前に、薬師への入口があったのですが、表示はなにもありません。m88-64-085 F5818こんな場所を入って行くのです。個人のお宅の裏庭に忍び込むような道ですから、発見出来なかったのも無理有りません。ゴルフ場の方まで入って行ったのは、山腹にお堂が見えないかという調査でもあったのです。それらしい屋根を見かけたので、入り口を絞れた次第。ここを過ぎると、それらしくなります。m88-64-09 F5820左下に小さな駐車場があり、右手に「山門」があります。m88-64-10 F5822薬師堂これが、楼門なのです。薬師堂そのものは、奧に見える建物です。この薬師堂、昔から有るようですが、「新編武蔵風土記稿」では『薬師堂 これも村民持』としか書かれていません。

m88-64-11 F5830楼門の表には「瑠璃殿」、裏には「薬師堂山門」。矛盾しています。m88-64-15 F5844

 

木瓜爺の推定ですが、最初の頃は、この門の上に薬師様が居られたのではないでしょうか。建物が傷んできたので、別のお堂を作り、安全確保し、門の足元を修理した。そんな流れがあったのでは・・・門をくぐり、石段をあがります。m88-64-12 F5831

 

「やっとお参りできました。」と薬師様にご挨拶。

m88-64-13 F5835

 

中央の厨子の中は、石の薬師のようです。向かって左の方に、十二神将のいくつかがおかれているように見えます。上の額は、ちょっと読めませんでした。

m88-64-14 F5840

山門の二階部分は、入れるようにはなっています。脚部を鉄骨で補強したところもありますが、全体的には少々不安のある建物なので、仮寺務所的な使い方になっているのでしょうか? 話は変わりますが、この薬師様、尊像を印刷した御札が作られて、いただいてこれるようになっていました。その絵は、石仏ではなく、普通の木像的な線画です。わざわざ「瑠璃光如来」という呼び方をしていますから、過去においては、木像は金属佛、若しくは絵姿があったのではないでしょうか? あるいは、それが此所に安置されているのかも知れません。

お参りも済んだので、退散します。「下津久根」バス停から、越生駅までバスに乗ろうと思います。そろそろバスの時間です。境内を見回すと、「十二神将供養」という石碑があm88-64-16 F5845りました。傷んでしまった「十二神将像」をたきあげでもしたときに作ったものでしょうか?m88-64-17 F5859

 

 

 

 

バスの時刻までは、10分ほどでした。ちょっと遅れて来たのですが・・・越生駅での接続が旨く行かない時間だったようで、次の列車まで1時間近い待ち合わせです。仕方なく、「越生神社」と「正法寺」をまわって時間つぶしすることにします。つまり、もう二日ほど、越生散歩が続くことになってしまいました。

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