2016/12/01: 入間市散歩;木瓜爺撮歩103-01 東金子小田和・権現坂の石祠 (No.2881)

入間市に「扇町屋」という場所があります。靑梅からここに行く道は、県道63号線ですが、古くは「町屋街道」現在は「豊岡街道」などと呼ばれています。「新編武蔵風土記稿」では「靑梅道」という名前で書かれていました。木瓜爺がまだChoi-Boke爺ちゃんのブロクだった時代に、「靑梅フォトウォーク」の第12回でしたか、入間市に属する寺社を書いていますが、これは「町屋街道」を歩いたので、入間市に入ってしまったものでした。一例をリンクしておきます。8月14日:青梅フォトウォーク第12回(町屋街道)-1 龍岳山高養寺(入間市)

「新編武蔵風土記稿」に出てくる元禄年中改定図の名前で村を並べますと、西の方から「木蓮寺村」「峯村」「寺竹村」「三ッ木村」「上谷ヶ貫村」「下谷ヶ貫村」「花ノ木村」「中神村」「小谷田村」「新久村」「高倉村」「扇町屋村」とほぼ並んでいます。現在、河辺駅北口から入間市駅に行くバスの停留所名を同じ範囲で並べて見ましょう。・・「南峯」「寺竹」「西三ッ木」「上谷ヶ貫」「谷ヶ貫寺」「中神」「根津」「新久西」・・「桂橋」・・共通項が多いでしょう。こういう場所は、「新編武蔵風土記稿」との照合もやりやすい場所ということになります。

m103-01-01 C_5968- 2016-11-21前置きが長くなりましたが、町屋街道歩きを続けて見るかと、2016/11/21、上記のバスに乗り、「桂橋」で下車しました。ここは字からみると「小谷田村」のようです。次の停留所が「小谷田」なのですね。桂橋というのは、「霞川」にかかる橋です。一応橋の上に乗って、下流を写してみました。m103-01-02 C_5970- 2016-11-21 霞川

 

 

 

この日、木瓜爺はD700に昨日書いたFM2/T用の35mmレンズを付けたものがメインカメラで、サブにはいつもの散歩用主カメラX20を持っています。今日明日のブログ写真は、D700側オンリーです。35mm一本でどういうことになるか・・・ズームを使い慣れた方は楽しみに見ていてください。木瓜爺にとっては、若い頃はこれが当たり前でしたから、不自由ではありますが、困ることはありません。

「小谷田村」の鎮守は「氷川神社」でした。大宮の「氷川神社」を勧請した神社です。地図を見ると、「東金子小学校」のすぐ南にあります。ここからは北に進むのです。地形的には小さな尾根を一つ越えるようです。北の方に行く道を眺めます。m103-01-03 C_5971- 2016-11-21

 

見た瞬間、神の呼び声? 分かりますか? 崖の上に神社っぽい建物が見えます。まずあそこに寄るか・・実は、逆方向の南の方に「霞川稲荷」というのがあると聞いたか見たかしていたのですが、この瞬間に忘れてしまいました。

m103-01-04 C_5972- 2016-11-21坂を登って行きます。崖下にちょっと空き地、若しくはお庭がありましてコスモスが咲いていました。こういうのは、此のレンズの得意芸。

どこにピントを合わせるかだけです。MF(マニュアル・フォーカス)のレンズなので、自分の目で合わせます。やってみて、こりゃいかん! 眼鏡を掛けたり外したり、大きな事を云っても自分の目玉のピントがおかしい。2重に見える? ファインダーを見るのは片目ですから2重にはならないのですが、どこで一番鮮明になったのかが分からないのです。ヘリコイドを動かして、これはまだ合っていない、あれ?行きすぎたらしい、少し戻して・・もたつきましたが、何とか決まりました。花と神社の距離感が無くなるほど絞り込んではいけないのでほどほどに・・もう少し神社がボケるつもりでしたが、半絞り多かったかもしれません。

m103-01-05 C_5973- 2016-11-21

m103-01-06 C_5975- 2016-11-21 急階段ですが、鉄の階段なので、手すりに使って行けば登れそうです。降りの方が怖そうです。登って見ると、覆殿の中に、石の祠が置かれていました。神体は白幣です。これでは、何神社か割りません。なんとなく、「山神社」かなあと思いました。わざわざ山の上に祀っているからでしょう。稲荷神社ではなさそうです。こちらが、神様が眺めているm103-01-06 C_5978- 2016-11-21風景です。

 

一旦、下まで降り、坂道を登って行きます。すると、てっぺんに、こんな杭がたっていm103-01-07 C_5980- 2016-11-21ました。この坂は「権現坂」という名前で、「昔坂の上にタラの巨木があり、根元に権現様が祀られたことから呼ばれている」と書かれています。この坂の上は、現在は「東金子公民館」が立っています。m103-01-08 C_5982- 2016-11-21

 

 

 

 

 

 

「権現様」の祠があったとしたら、それが先ほどの位置に移ったのかも知れませんね。位置的には納得できる場所です。問題は「ナニ権現」なのかです。「新編武蔵風土記稿」を探しました。すると、「小谷田村」に「澤権現」、隣の「新久村」に「金山権現」がありました。「澤権現」のほうは『村内修験明王寺の持』となっています。「澤」という名前が、坂の上のタラの樹の根元には余りふさわしくないのですが、修験の作った権現様の別社だったのかもしれません。或いは「明王寺」がこの辺にあったのか?

なおも、インターネットで「東金子」を検索してみましたら、「昔日の東金子村」というサイトにぶつかりました。この中には、該当する事項は見つからなかったのですが、明日からのブログの参考になることが書かれていました。例えば、氷川神社の説明の中に、『文治四年八月一宮氷川神社の分霊を勧請せるものなりと云ひ。勧請證書を藏すと云へど如何にや。明治四十年澤権現社、森原稲荷社等を合す。』と、「澤権現」が合祀された事が書かれていました。ここに、「入間郡誌に載っていない神社仏閣その他」というオマケも付いていたので、そちらも確認しましたが、やはり該当なしでした。残念! では、氷川神社に向かいますが、途中でまたしても呼び止められます。

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