2016/12/05: 入間市散歩;木瓜爺撮歩103-05-1 龍岳山 歓喜院 龍圓寺 (No.2885)

「東光寺」を出て、「龍圓寺」に向かった木瓜爺ですが、近道表示に従ったために、少々道順の記憶が怪しくなっております。東光寺の前から、一旦氷川神社から来た道にm103-05-01 C_6069- 2016-11-21出て、西に進んだと思います。この道、直進出来ないT字路にぶつかったのですが・・・多分これがT字路になる所でしょう。その角に、「武蔵野三十三観音19番 m103-05-02 C_6071- 2016-11-21東光寺」の道標があって、あれ?と思ったものです。考えてみると、これから行く「龍圓寺」は三十三観音の20番でした。丁字路で、キョロキョロしまして、右の写真「近道案内」を見つけました。正規の道は左に進んで右に曲がって行くのですが、近道はショートカットで門前に直行します。m103-05-03 C_6073- 2016-11-21

こういう細道をたどるのです。殆ど直線なので、迷うことはありません。m103-05-04 C_6074- 2016-11-21

寺の掲示版の前に出ました。一安心です。

「新編武蔵風土記稿」によりますと、ここは村名が変わりまして「新久村(あらくむら)」になります。「龍圓寺」については、次のように記述されています。『龍圓寺 新義真言宗 高麗郡新堀村聖天院の末 龍岳山歓喜院と号す 寺領十五石は境内の観音堂料に玉ひしよし 慶安貞亨中の御朱印には高麗郡入小谷田村とあり 按に此村高麗郡に接し當寺の領は正しく此村内にあれは偶高麗郡と書せしにや されと当村正保の頃も今の如き村名なるを夫より後入小谷田と書せしはいかなる故にや詳ならす 彼観音堂のある處は字田谷といへは若くは古名入小谷田と称して何の頃よりか誤て田谷と唱へしには非すや 近村小谷田村とは別なるへけれは とかく辯しかたし 開山開基は詳ならす 中興を俊譽と云 寶永六年示寂す 鐘鐘一口を本堂の軒に揖く 銘は享保中のものなれはのせす 本尊は虚空蔵なり』

ながながと地名の事を書いていますね。親寺が、高麗の聖天院だというので、嬉しく(?)なりました。この「聖天院」は木瓜爺ブログがあります。
28- 高麗の鄕; 木瓜爺撮歩18-29 高麗山 聖天院 勝楽寺〔1〕 (No.2516)

なお、現在、「龍圓寺」は真言宗智山派とのことですが、これも親寺と同じです。

観音堂についても書かれています。『観音堂 観音は金の立像にて長三寸許 この観音は小名田谷にある古井より出し由を傅へり』補足的な記述もあります。『屋敷跡 小名田谷にあり 二段許の地なり 昔地頭市川氏の住せし處なる由 其頃の鎮守なりとて稲荷の小祠残れり 且其傍に古井あり 龍圓寺境内の観音は此古井より上れりと云』m103-05-05 F4596

境内に入りましょう。左右の石柱に「龍岳山」「龍圓寺」が表示されています。正面が本堂で「虚空蔵菩薩」のお住まい。左に鐘楼が見えます。その奧にあるのが「観音堂」でしょう。まず本堂にご挨拶して行きます。m103-05-06 龍圓寺 C_6077- 2016-11-21こちらのお寺は、自前のHPはないようですが、霊場としての紹介はいくつかありました。それらを拾い読みしたのですが、コピペの元がどれかまでは分かりませんでした。同じ事があちこちに書かれているという事です。まとまっていた「巡礼日誌 武蔵野三十三観音 第20番」という記事から、抜き書きしておきます。

『札所本尊;千手観世音菩薩  本尊:虚空蔵菩薩   開創時期は不明。寺伝によると建仁年間(1201~4)に寂蓮法師が東国を巡錫していた際、この地に草庵を結び千手観音を安置したのが始まり。慶安2年(1649)には、三代将軍徳川家光公より寺領十五石二斗の朱印状を与えられるなど隆盛した。その後度重なる火災などに遭い荒廃したが、宝永6年(1709)に亡くなった俊誉和尚が中興。明治34年(1901)近火により類焼し、本堂を含む一切が焼失した。』・・・古井戸から出てきた観音様を祀ったのが「寂蓮法師」なのでしょうか? 地頭というのは、鎌倉幕府が作った制度、1190年以降です。2000年だと10年しか経っていないので、地頭屋敷跡の古井戸にはなっていない? このあたりちょっと疑問が残りました。多分、市川氏の守護仏かなにかを祀った観音堂が出来たのでしょう。

m103-05-07 C_6078- 2016-11-21

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本尊である「虚空蔵菩薩」は、あと五万年ほどたつと如来になられる菩薩。未来の佛です。それまで、人類が残る保証はありませんねえ? とりあえず、人類が滅亡を急がなm103-05-09 C_6079- 2016-11-21m103-05-10  F4601いようにお願いしておきます。この本堂、石段脇に鏝絵のような彫刻?が作って有りました。ちょっと珍しい細工です。そういえば、もう一つ珍しいものを写しましたよ・・水道の蛇口の處に倶利伽羅竜? 面白いお寺です。では、観音堂の方に上がります。まず鐘楼を下から眺めて・・・「天井絵」が付いていますよ・・・じっくり見たいけど首が痛い・・・年はとりたくないものだ・・・m103-05-11 C_6082- 2016-11-21

首が痛くなったので、今日はここまでにしておきます。

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