2016/12/10: 入間市散歩;木瓜爺撮歩103-09 根岸・地蔵堂 (No.2890)

m103-09-01 C_6470-県道63号こと「豊岡街道」まで戻って、西に進みます。右の写真は街道に出たところです。ここで、右折。m103-09-02 C_6471-「豊泉寺」入口のm103-09-03 C_6473-標識が電柱に付いています。後で分かったのですが、「豊泉寺入口」の表示は二ヶ所あるらしい。最初の表示で、北に入った木m103-09-00 C_6474-瓜爺です。電柱の脇に、石碑がありますね。これが「茶場入り道」の碑の一つなのです。一体いくつあるのだ? どうも木瓜爺、狭山の狸か狐に化かされて、同じ所を何度も歩かされているようです。

「北狭山茶場碑」という大元は、龍圓寺の境内にあります(木瓜爺、写し忘れました)。その「茶場碑」へ行く道を示すのが、「狭山茶場碑入り道」の碑なのです。だから、あちこちにあるのです。それも大きな石碑になっているものですから、多くのブロガーが「茶場碑」を写し忘れて、この「入り道碑」で誤魔化しています。木瓜爺もそれに感化されてしまったようです。大元の「茶場碑」は板碑型で文字が一杯書かれていたような記憶です(記憶があやしいので困ります、やはり外部記憶しないと駄目らしい)。m103-09-04 C_6475-「入道」は、用水路の蓋の上のようです。これを入って行きました。分かれ道があるのですが、道標はなくて、地図を頼りに進んで行くと、赤い屋根のお堂が見えました。はてな? です。「豊泉寺」にしては近すぎるのです。持っている地図には表示なし。これは、ちょっと説明しておかないといけませんね。最近のインターネットでダウンロード出来る地図の多くが、縮小率によって記載されいるデータに表示が変化するのです。小さなお堂などは、最詳細図にしないと現れないことが多いのm103-09-05 C_6476-です。しかし、歩くときの資料としては、歩く範囲がA4一枚か二枚に納まる程度の縮小率で印刷します。その時は小さなお堂は出現しないのです。 そういう物があると分かっていれば、あらかじめ詳細図も併用するのですが・・・そう言う点では、スマホなどで直接見られる地図を使われる方が有利かも知れません。ただ、あるとき道に迷った木瓜爺が、若い方に神社の位置をお尋ねたところ、ケイタイ(当時はまだガラケーの方が主だったようです)の画面で地図を検索して見せてくれたのです。しかし、それがさっぱり分からない。これどう解釈するんでしょうねえ? 二人で首をひねってしまいました。小さな画面なので、対象が分かるように表示すると、周辺の目印になりそうなものが画面外になってしまうのでした。此の経験からいうと「タブレット」くらいの広い画面でないと、老人は理解出来ないかもしれません。

話を戻して、「このお堂は何だろな?」独り言を言いながら、前に進みました。m103-09-06 C_6481-

「根岸子育地蔵尊」と書かれています。「豊泉寺」は中里村なので、別物です。後で「新編武蔵風土記稿」を調べましたら「根岸小谷田村」には『地蔵堂 是も村持なり』と、書かれていました。村人達が祀ってきたお地蔵様なのです。お堂の扉は閉まっていて、現状はうかがい知ることは出来ませんでしたが、地蔵尊よりも「地蔵堂」の由来が分かっているようです。それで、ブログタイトルは「根岸・地蔵堂」としてみました。m103-09-11 C_6489-

 

最初にあった場所が分からないのですが、天明二年(1782)に建てた棟梁は「武州多摩郡日影和田村 棟梁 志村茂衛門」。文政五年(1822)に当地に移設したとのこと。現在、JR青梅線に「日向和田」という駅がありますが、「日向和田村」の隣が「日影和田村」でした。後に一つになって「日向和田村」になります。其処に住んでいた棟梁が建てたというのですから、日向和田から靑梅経由、豊岡街道付近のどこかに建てられたものなのでしょう。昭和36年までは、茅葺き屋根だったのですが、現在は亜鉛板だそうです。本尊地蔵の安否は分かりませんが、境内にはいくつかの石仏があります。

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肝心のお地蔵様は首なしのままです。いささか淋しいですね。この地蔵を見ると、「地蔵堂の本尊も朽ちている」という噂も当然と思います。この根岸には、隣の中神村の「豊泉寺」を開基した「豊泉氏」という旧家があり、「新編武蔵風土記稿」に「舊家者七兵衛」という記録が残っています。このあたりに住まいされていたのではないでしょうか。m103-09-09 C_6485-

是は、歩いて来た道の一本東の道から、お堂を見た所です。右側の家など、旧家なのでしょうね。この道を入った所にうどん屋があり、「根岸子育地蔵尊」は、そのうどん屋さんの目印として、インターネットに登場していることが多い様です。

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「地蔵堂」の境内にあった「宝筺印塔」を、アップするのを忘れていました。これは、宝暦4年(1744)建立だそうです。ということは、地蔵堂が移設される前ですね。よく分かりませんが、先住者なのかも知れません。この場所は、旧家の墓所のようなものだったのではないかと推定した起きます。「地蔵堂」以前には「庵」があったかも知れません。m103-09-08 C_6477-

ここには旧式ですが、公衆トイレもありました。ところで、「豊泉寺」はどこなのだ?  結果論としては、この道をそのまま進んでも良かったのですが、この時は「迷子になったときは、分かる場所まで戻れ」 という、木瓜爺定石に従って、一旦「豊岡街道」に戻り、バスの車窓から発見していた「もう一つあった豊泉寺入口」の表示から入り直すことにしました。

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