2016/12/13: 入間市散歩;木瓜爺撮歩103-11 三輪神社 (No.2893)

m103-11-01 C_6543-「豊泉寺」から、また豊岡街道に戻りました。地図によると、ほんの少し西に進んで、左折です。多分あの陽当たりの所が、その道の入り口でしょう。「三輪神社」は、古「中神村」にあります。「新編武蔵風土記稿」によると、『三輪明神社 新久 根岸 中神 三村の惣鎮守なり 往古は琵琶明神と唱へしか 萬治年中 吉田家より命じて今の如く改めし由 その所以はしらす 神司の説に當社は宇賀彦宇賀姫の二神を合殿とし 琵琶明神とはいへりと縁起に往昔老翁婆常に此地に来り 相共に琵琶を弾せしかは村民共に是を国津神と呼へり 因て此村名を得たる由 又 朱雀院の御宇 承平六年鎮守府将軍秀郷 田猟の折から此地を通り 琵琶の音を聞 その所に至て見れは 白髪の翁なり 秀郷怪みて問ひしに吾等は宇賀彦宇賀姫なり 豊熟を祈り民の安堵を護れるなと云ひし故 秀郷新たに一宇を建立せりと云り 此の社殿は取へき事に非されとも姑く其の伝るままを記せり 神職枝久保近江 慶安の頃より世々伸爾たりと云』 神様は元々おられたわけですが、藤原秀郷が社殿を新築したという事ですね。ただし、後で出てくる物的証拠(棟札)は、遙かに後世の萬治二年(1659)らしい(四代将軍 徳川家綱の頃)。

m103-11-02 C_6544-霞川にかかる橋を渡っています。「琵琶明神」から「三輪明神」に名前を変えた「吉田氏」というのは、神主さんの総本家のような方です。「吉田神道」という言葉をどこかで目にされたことがあるでしょう。室町時代の事ですが、「吉田家は神祇官としての実権を握って,また諸社のことにも関与して,指導的立場にあった」のです。神道を一本化したので、吉田神道は唯一神道,卜部神m103-11-03 C_6546-道ともいわれますが、正しくは,元本宗源神道,または唯一宗源神道 だそうです。

木立が見えます。三輪神社の森でしょう。靑梅からこのあたりまで、畑のなかに高い樹木の林があると神社だ、という光景がよく見られます。「城跡(屋形跡)」ということもありますが。m103-11-04 C_6548-三輪神社

 

 

 

 

 

 

 

 

「村社 三輪神社」です。「新編武蔵風土記稿」に出てきた「白髪の爺婆」ですが、此所では「宇賀彦・宇賀姫」。「国津神」と云いますから、天孫降臨で駆逐された方の神様です。土着の神様なのか、他では名前を聞きません。似た名前は、ご存じの「宇賀御魂神」お稲荷さんの神様ですね。実は、もうちょっと西に行った「寺竹村」にあったのが「白髭社」です。このあたり「白い鬚」が多いようですね。木瓜爺の想像なのですが、ここは「高麗の鄕」に近い場所なので、そちらの文化が流れ込んできている可能性もありますね。高麗の鄕には「白髭社」が沢山あった時期があります。特に「豊泉寺」の獅子や龍に逢ってきただけに、そういう思いが強くなっています。m103-11-05 C_6551-

 

 

 

 

石段脇の説明板は「森」の説明のようです。社殿は正面。右は大きな社務所用建物でm103-11-06 C_6553-しょうか?

「三輪明神」という名前で、本家筋を探しますと、奈良県桜井市三輪にある「大神神社(おおみわじんじゃ)」という大物になります。式内社(名神大社)で、大和国一宮。かっては官幣大社でした。吉田家の指示はこれを意識したものでしょう。m103-11-07 C_6556-

 

 

現在、こちらの祭神は、「大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)、 宇賀彦命(うがひこのみこと)、宇賀姫命(うがひめのみこと)」ということになっているようです。ただ、神殿の配置を見ますと、もう少し複雑な話がありそうなのですが、今の所木瓜爺には分かっていません。あとで、神殿配置を説明します。

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狛犬は、獅子型ですが、阿吽が良く分からない顔つきです。多分右の写真が「阿」でしょう。左は子獅子がいるのでしょうか? 部分補修をしたらしい白い部分がよく分からない・・説明板は天井絵や棟札についてのものでした。m103-11-09 C_6560-

 

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横にまわりました。社殿の前部は拝殿で、m103-11-11 C_6569-廊下伝いに奧に行きますと神殿があります。ここまでは普通なのですが、神殿の真後ろにもう一つ赤い社殿があるのです。この後見役のような神様が何だか分かりません。「神明社」だという記事を見たことがあるのですが、ホントですかねえ? 色が気にくわない! 赤い色使っているのだから、愛宕社とか春日社とか、稲荷社とか・・なるべく国津神の奧宮らしいのが良いなあ・・

「中神村」には「愛宕社」があったようですが、「豊泉寺持」なので、ここはちょっと遠いようです。

境内に四阿がありました。そこを拝借して、食事をしました。見上げると大木!m103-11-12-c_6572

 

 

次は、「花木村の鎮守」であった「山神社」を探します。神社を出て、茶畑を眺めました。あれ? 赤白の高圧線塔が、あんな所にあります。つまり、だいぶ余分に歩いたようです。

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