2016/12/15: 入間市散歩;木瓜爺撮歩103-13 谷ヶ貫の神明社 (No.2895)

バス停の話ですが、中神の一つ手前に「谷ヶ貫寺」というバス停があるのですが、この寺があるのかどうか、定かでは無いのです。「新編武蔵風土記稿」では、「上谷ヶ貫村」と、「下谷ヶ貫村」に分かれていて、上の方には「西光院」下の方には「光圓寺」がありますが、「谷ヶ貫寺」というのはないのです。

m103-13-01 C_6603-「山祇神社」から「豊岡街道」に戻ります。大きな柿の木、もぐ人もいないのでしょう。たわわに実っています。流行のドローンでも取り入れは出来そうもないな・・などと考えながら歩いています。街道に戻ってきました。m103-13-02 C_6605-

 

m103-13-03 C_6606-

 

丁度「谷ヶ貫寺」バス停ですが、寺そのものは見当たりません。あえて云うなら、少し西の「光圓寺」が最寄り寺(?)なのですが・・ただ、この光圓寺も廃寺同様の状態、明日お見せしましょう。

木瓜爺は、先に「神明神社」を探すことにしました。左折して、霞川の方にゆくと、神社らしいものが見えました。m103-13-04 C_6608-

 

m103-13-05 C_6609-「新編武蔵風土記稿」では、「光圓寺」と同じ「下谷ヶ貫村」に『神明社 村内光圓寺の持』と記されています。この他に『愛宕社 山王社 稲荷社 以上三社も前と同寺の持』となっています。おそらく、みんな神明社に集められているでしょう。「山祇社」と同じような小形の鳥居です。道路整備の関係か、鳥居と社殿がちょっと変則的な並び方になっています。鳥居の正面に、社殿はなくて、左の方に振れているのです。「村社 神明神社」の石標が立っています。説明板がありました。これは有難い。m103-13-06 C_6610-神明社

 

 

 

 

 

 

 

 

m103-13-07 C_6612-

 

祭神は「天照大神」。創立は不詳。天正19(1591)年再建です。末社が、「八雲神社」これは「天王社」からの改名かも知れません。「日枝神社」これが「新編武蔵風土記稿」にあった「山王社」ですね。「天神社」というのはちょっと珍しい神社です、「道真の天神様」ではないのです。ただし、明治期に作られた神社かも知れません。

「新編武蔵風土記稿」を調べますと、上谷ヶ貫村の方にある八幡社の末社に天神社や天王社の名前がありますが、これがこちらに来たのかどうかは分かりません。明治期に、神社をまとめる作業が行われましたので、末社に関してはごちゃごちゃになった可能性もあります。もう一つの変わり種は「桜谷神社」という「靖国神社」の分社のような神社です。各地では「護国神社」という名前で神社が作られました。それをこういう名前で末社にしたのかも知れません。m103-13-08 C_6615-

 

これが、「神明神社社殿」です。末社は左側の奧に並んでいます。m103-13-09 C_6620-

 

 

向かって左端の大きめの社が「桜谷神社」です。明らかに、別格扱いです。右の長屋は4つに分かれているようですね。計算が合いません。さっきに説明では「桜谷」以外の末社は3でした。m103-13-11 C_6623-

 

「八雲神社「日枝神社」「天神社」と並んで、最後が何でしょうね? 「稲荷神社」だったかなあ? 写真で確かめようと拡大倍率を上げてみたのですが、縄が垂れ下がっていて、読めません。これはうっかりしました。m103-13-12 C_6626-

 

ここで気が付いたのですが、神明神社の社殿も、後部が覆殿になっていました。多分後部に古い社殿が入っているのでしょう。お参りを済ませて、「光圓寺」に戻る予定だったのですが、どうもどこかから「よってけ!」の声? お地蔵様らしいです。ちょっと、寄り道します。

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