2016/12/19: 入間市散歩;木瓜爺撮歩103-17 寺竹・白鬚神社 (No.2899)

ふと気付くとブログの予約投稿残が1・・・これは拙いぞと、撮歩103を追加です。現在このブログの許容容量は93%。あと何日つかえるか? 心細いことになりました。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA昨日のブログで「上谷ヶ貫」からバスで帰りました。今日は、一つ靑梅側の「西三ッ木」に下車します。堰下橋から武甲山がよく見えています。少し風が強いので、早めに切り上げた方が良さそうな気温です。羽村駅から河辺駅まではJR 河辺から「入間市駅」行きのバスにのりました。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

バスの中で記念撮影(?)。前の方に乗っていると、こういうことも出来ますね。木瓜爺の着ているブルーのジャンバー?は、中綿入り。風よけにフィルム状の部分があるらしいのですが、これがゴアテックスのように高級品ではないらしく、身体を動かすとガサガサ音がするのは困りものです。やがて、「西三ッ木」に到着。バスを降りて、そのまま進行方向に少し進んで、左折しまKONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAす。「白髭神社」への標識が貼ってありました。「白髭」の髭の字は「髭」「鬚」「髯」と三種あり、どれを使うべきか、まだ分からないのです。順に「くちひげ」「あごひげ」「ほおひげ」です。こちらの神様はどれなのでしょうか? 神額や説明板を見るまでわかりません。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

神社前に来ました。ここは、「白鬚」あごひげ のようです。まだ分かりませんよ・・

「新編武蔵風土記稿」を見ると、「三ッ木村」ではなくて、隣の「寺竹村」に書かれています。『白髭社 東方三ッ木村の境山の中腹にあり 古は境の明神と称せり 神領十石の御朱印を賜へり 本地は十一面観音にて慶長十一年と彫たり 径り一尺許なる圓き木の中に安す銅仏にて長三寸 当村及び三ッ木 峯 三村の鎮守なり 按に當社の由来記に人皇五十代桓武天皇八代後胤 金子武蔵守 平行長 依勅命武総両州為武士棟梁下向関東武州 金子邑築城郭云々 後百年余年経て金子十郎家忠 武運長久の為に 境明神を鬼門に築き 四百五年の星霜を経て元亀三年に至るとあり 元亀より四百五年をさかのぼれば 六条天皇御宇 仁安三年に至ればこの頃始めて勧請せしにや 是も外に拠はなけれと 兎角に古き社なるへし  末社 三社権現社 愛宕社 浅間社 天KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA神社 稲荷社 別當龍蔵院(以下略)』・・・風土記稿では「くちひげ」になっています。三村の鎮守だったと書かれています。峯と云う地名は、丁度八高線のガードがあるあたりです。

階段を少し上がった所に鳥居がありました。それをくぐると広場があり、左手に平屋の社務所があります。正面はさらに石段で、社殿に向かいます。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

 

 

狛犬が一対。割合新しいもののようです。神社の説明板も作られていますね。まず、狛犬君を写します。なかなか威厳のある表情です。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

こちらも「あごひげ」ですね。祭神は「白髪武廣國押稚日本根子天皇」清寧天皇・・、武内宿禰、猿田彦。武内宿禰は「ほお」「あご」「くち」みんな揃っていたかな? 主神らしい「しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと」は、清寧天皇の諡名です。第22代の天皇ですが、在位期間はたった五年です。四十才前後で亡くなられたようです。「雄略天皇」の第三皇子。独身で子供もいません。生まれながらに白髪であったそうです。

先ほど書いた風土記稿とほぼ同じことが由緒として書かれているようです。こちらの方が分かりやすいので、読み比べて下さい。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA「金刀比羅神社」と「敷島神社」は、末社ではなく、独立した神社のようですね。そういう扱いでブKONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAログも書きましょう。

石段を上がって行きます。途中にご神木もありました。

階段をあがると、平坦地があり、社殿再建の記念碑などが建っています。そしてもう一段高いところに社殿がありました。考えていたよりも質素な造りです。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA今日の最初の神社ですから、丁寧に拝礼しました。「神額」も「あごひげ」「白鬚神社」です。では、ブログのタイトルも「あごひげ」で書きましょう。

ここに「白鬚神社」があることについて、木瓜爺は「高麗の鄕」の影響があるのではないかと書いていますが、同じようなことを考えた方もおられて、金子氏そのものが、渡来人の子孫だろう書かれていました。先ほどの神社の説明板では、「桓武天皇八代後」ということです。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

社殿の後部には「離れ」の形で「覆殿」があり古社がおかれているようです。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

 

 

「懸け仏」の説明もありました。

お参りを済ませたところで、他の神社を見回します。というところから、明日書きます。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中