2016/12/21: 入間市散歩;木瓜爺撮歩103-19 権現神社 (No.2901)

「明神」と「権現」の違いについていろいろ考えたこともあります。天海僧正によると、豊臣は大明神だったから、徳川家康は大権現にする、明神は滅ぶ・・権現は何時までも続く・・。「権現」が強くなったのは、徳川以降のことのようですね。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA 「白鬚神社」の後ろにある「金刀比羅神社」の脇に、もう一つ祠があるのです。それが「権現神社」。「新編武蔵風土記稿」によりますと、「白髭社」の末社として、『三社権現』という名前がありますので、木瓜爺はてっきり是だろうと思っていました。

この「三社権現」というのが何か・・三社という言葉でまず頭に浮かぶのは「熊野三社」、ついで浅草の「三社祭」などです。インターネットで「三社権現」を検索しましたら、浅草が先に出て来ました。これは、単に検索数が多いから先に出てくるだけです。かって「三社権現」と呼ばれて居たのは現名「浅草神社」です。「浅草神社」の祭神は、「檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)」「土師真中知命(はじのまつらのみこと)」「檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)」。『浅草神社の由緒』は浅草神社のホームページなどで知る事ができますが、要は、「浅草の観音様」を海中から漁網で捕まえた(?)漁師「檜前竹成兄弟」と、それが観音様であることを教えた「土師真中知」を祀っているのです。・・その「浅草神社」こと「三社権現」が、入間に祀られる必然性は感じられません。 もう一つの「熊野三社権現」の方が可能性は高いでしょう。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA「熊野三社権現」というのは、熊野の「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の神様を勧請したものです。したがって、主神は「家都御子神(阿弥陀如来)」「熊野速玉神(薬師如来)」「熊野夫須美神(千手観音)」。熊野権現は神仏習合の寺社なので本地仏も書いて見ました。 なお、これを拡大した「熊野十二社権現」も各地にあることはご存じの通りです。とまあ、頭を整理したところで、お参りします。ところが、これがまるで見当外れだったのです。堂内には石の祠がおかれており、壁に由来が表示されていました。m103-19-03 F4691

 

 

 

 

 

 

 

「昭和49年に西方約500mにある権現山より遷宮」。全然違うじゃん! です。巨m103-19-05 F4690樹の輪切りが後ろにおかれていて、それが「白鬚神社」の神木と同じくらいの年輪なので、この「権現神社」も同じ頃のものだという説明です。さらに、木瓜爺を必殺パンチが見舞います。ずらりと並んだ「健康祈願」の御札です。「足腰健康祈願」!

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAなんじゃあ! これは「子ノ権現」だあ・・気を取り直して、木瓜爺も「足腰建康祈願」をしました。これだけ(写真は一列しか写していませんが、この上にもう1列あります)「祈願札」が並ぶのですから、きっと霊験もあらたかなのでしょう。

500m西ということを手がかりに、考えますと、寺竹村「高養寺」というお寺があります。「新編武蔵風土記稿」には、この「高養寺」に「子ノ権現社」があったことが書かれています。おそらく神仏分離の時に、権現山の石祠が「権現神社」として独立?してしまったのでしょう。なお、「高養寺」については、Choi-Boke爺ちゃんのブロクで、訪れています。リンクを付けておきます。8月14日:青梅フォトウォーク第12回(町屋街道)-1 龍岳山高養寺(入間市)
最後に、お堂の内部の写真を載せて、「権現神社」を辞することにします。心なしか足も軽くなったようです。「金子神社」は山の上ですから、足が軽くなるのは有難いことです。m103-19-06 F4692

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