2017/01/01: 酉(とり)年の初詣〔江戸の古社〕;木瓜爺撮歩77-17 谷保天満宮 (No.2912)

「あけまして おめでとうございます」。昨年の元日には「申年の初詣」と題して、赤坂の日枝神社を書きました。山門にいる猿の大臣達を紹介したかったのです。今年は「酉年」。本来であれば「酉の市」の本家筋である 久喜あたりの「鷲宮(わしのみや)」に行けば良いのですが、ちょっと遠い感じがして、近くに何かなかったかな? と、ボケてきた頭をフル回転・・・そのうちに、ああ、鶏が野生の姿を見せてくれる神社があった! 今日はそれを紹介することにしました。実際に出かけたのは12/26で「終い天神(12/25)」も終わって、新年の準備がはじまった日です。初詣に出かけられれば、盛装した神社をご覧いただけるでしょう。

場所は「国立市」、電車で云えば、南武線の「谷保」です。「やぼてん」の語源となったといわれる「谷保天満宮」。このあたりのことは、Choi-Boke爺ちゃんのブロク で、2012/12/27 ~ 2012/12/29 に書いております。後ほど、12/27 分にリンクします。

m77-17-01 F4713谷保駅「谷保駅」に下車すると、工事中でした。初詣の時期にはまだ続いていますので、その看板を入れておきます。m77-17-02 F4714

 

木瓜爺が出てきたのは、南口西側階段でした。ここも何かしていますが、通行には問題ありませんでした。出て左側に公園があります。ここは、タバコが吸える場所でした。奧の方のベンチに灰皿が置かれています。この先は、基本的には喫煙所なしになります。m77-17-03 F4715

ここから、ジグザグと路をたどって・・南西方向に進むと、二十号線(甲州街道)に面した「谷保天満宮」に着きます。車で来られた場合は、この鳥居の前から左に入ると駐車場です。m77-17-04 F4719 谷保天満宮

この鳥居から、社殿に行く参道は、やや珍しい下り坂です。これは、昔の裏口から入っている為なのです。昔は、甲州街道が段丘の下を通っていました。其処に正門があるので、下らずにお参りする形でした。下の入り口には、境内社的に「厳島神社」と「弁天池」があります。これをリンクしておきましょう。翌日が「天満宮」の記事です。

27- 木瓜爺撮歩52-9 「常盤の清水」と「厳島神社」 (No.1450)

鳥居の横には、大きな狛犬があります。写真は省略、翌日のブログには入っています。今回は、由緒書きから始めます。m77-17-05 F4725

 

「中央政権」で道真が失脚するところから始まっています。昌泰4(901)年道真が太宰府にながされた時、三男の「道武」は、武蔵国谷保村(?)にながされました。そして、道真が死んだという便りに、父を偲んで木像を造り、府中の天神島に祀ります。この天神島は府中市本宿と書かれていますから、東府中の方ですね。「新編武蔵風土記稿」の頃は「本宿村」でした。『天神島 多摩川岸の田間にあり 是地谷保村天神の旧地なりとそ』と書かれています。 養和元(1181)年子孫の津戸三郎為守が、夢を見て、ここに遷宮したと書かれています。中央政権に認められるのは、天暦元(947)年・・・順序がおかしいですね。既に認められていた神社を、こちらに遷宮したのでしょう。m77-17-06 F4726

 

こちらは、「社叢」つまり、「天神の森」が天然記念物指定になっているという説明です。先ほど書いた甲州街道の話も書かれています。この森が、半分野生化した鶏の住処になっているのです。今日はその部分の写真を多く入れます。m77-17-07 F4728

 

鳥居をくぐって進んでいます。二の鳥居との間に、第二の狛犬。これは、少し小形になっていますが、それでも普通の神社の狛犬よりは大きい物です。右手の方に赤い屋根が見えるのは「稲荷系」の末社。最後に寄ります。m77-17-08 F4729

 そろそろ、鶏の姿が見えるはずなのですが・・ここの鶏は、エサを神社の人から貰っているようです。正確には知らないのですが、バケツを持った人の姿を見て、揃って駈けだして行くのを見た事があります。 でも、「鶏舎」のような物は記憶にありません。

m77-17-09 F4732

「爺ちゃん久しぶりだねえ・・」一羽よってきました。枯れ葉の中に食べ物が隠れているらしく、掻き分け啄んでいました。この姿を、スマホか小形のタブレットか分かりませんが、執拗に追っている女性がいました。m77-17-10 F4734

 

鶏の数が少ないなあ、もう食後の休憩に入っているやつが居るかな? これが、意外に知られていないのです。こういう風に、休憩して居ます。m77-17-11 F4761こいつは

爺ちゃんへのサービスで、顔を見せてくれました。大部分は、葉のあるところに隠れてしまいます。そうすると、人間は素通りすると知っているらしい。m77-17-13 F4769

 

m77-17-12 F4766見えないでしょう? 見える場所で写します。結構器用に止まっていますね。これが、どのあたりであるかは書きませんが、社殿に近い場所です。楽しみに探してみて下さい。

 鶏紹介は終わって、今度は天神様に居る牛にしましょう・・・そうか、丑年にも使えるわけだ・・m77-17-15 F4759

 

これは、社殿の玉垣の外にいる牛。ちょっと変わった素朴な感じのものです。もう一つm77-17-16 F4749玉垣の中にいます。そちらは、よくある金属製です。年寄り牛らしく皮膚のたるみが出ています。トラックが「乗って行くか?」と話しかけているようです。

社殿の前では正月の参詣者が踏む床面の平坦か工事が行われていました。木製の床面に滑り止めを付けたり、結構細かいことをしていました。絵馬がびっしり掛かっていますが、多分年末に数を調整して、掛けやすくするのでしょうね。m77-17-17 F4748

 

m77-17-18 F4756

「新編武蔵風土記稿」の『天満宮 社地一町三段 村の東の方にあり 本社二間に三間 拝殿二間半に三間 東向 御朱印社領十三石五斗を附せらる 神体木の坐像長二尺五寸m77-17-14 F4781許』以下詳しいことを書きたかったのですが、正月早々そんなもの読めるか と叱られそうなので、又にします。説明板と照合すると面白そうだったのです。

「爺ちゃん、もう帰るの?」人なつっこいのが、階段で待っていてくれました。「梅の花が咲く頃、又来るよ、鳥インフルエンザに罹るなよ」・・・

稲荷系末社に寄るのでしたね。m77-17-19 F4783

 

 

 ちょっと読めないでしょうが、額には三つの名前が付いています。左から「稲荷社」「瘡守社」「淡島社」です。右の方にある三小社には、総て使い狐の焼き物が置かれています。「瘡守社」というのは「瘡守稲荷」という名前であちこちにあります。笠森という文字をあてていることもありますね。分からなかったのが「淡島社」でしたが、和歌山県にある「淡島神社」というのは、「神功皇后、少名彦命」など色々な神様が祀られています。多くの「淡島社」は民間信仰的に「淡島明神」というのを祀っていたようで、明治以降に、「少名彦命」に変えられたそうです。 そこまで分かったところで、「新編武蔵風土記稿」を調べたところ、天満宮の末社に『稲荷淡島合殿』がありました。つまり、古くから合祀によって、「淡島稲荷」になっていたのです。ということで、稲荷系三社という木瓜爺の判断は正しかったようです。

では、このへんで、失礼。明日はまた府中に戻ります。

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