2017/01/02: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-06 本覺山 妙光院 真如寺 (No.2913)

競馬場の前を行ったり来たりしていた木瓜爺、ようやく西に向かいます。やって生きたのは「妙光院」ですが、どうも裏門に着いたようです。真言宗豊山派に属するお寺です。m96-06-01 F6133 妙光院

竹藪の間を抜けて行く、心安らかになる道です。m96-06-02 F6135m96-06-03 F6136

 

 

 

 

 

本堂の横に着いたようです。もう一つ門が見えましたので、そこから入り直してみます。こちらの門には、「本覺山」の額がかかっていました。m96-06-05 F6138m96-06-04 F6137

 

 

 

 

 

ここから入ると、正面が庫裡、本堂はほんの少し右にあります。「新編武蔵風土記稿」m96-06-06 F6140の「妙光院」は、「本町」の「寺院」に入っています。かなりの量の記述になっています。「観音堂」が門外にあること、「寮」「仁王門」「楼鐘(仁王門の中にある)」、寺宝の類など・・・おとそで酔っている木瓜爺には、全部は書き写せそうにないので、適当に抜き書きします。多分、「猫のあしあと」さんには、読みやすくしたのが、全文入っていると思います。

m96-06-07 F6143

『妙光院 御殿地の東の方にあり 本覺山真如寺と号す 新義真言宗京都仁和寺の末 御朱印十五石の寺領を附せらる 末寺門徒 凡二十三院を統ふ 本尊地蔵 木の坐像長一尺六寸 胎蔵に行基作の木像ありと云 又木像の不動あり 長一尺三寸立身 弘法大師の作 本尊の側に安す 當院は貞観元年真如法親王の開山にて 二世慈済僧正也と云   後遥かの星霜をへて元享十一年 法印宿源修理を加へしよし 東照宮此邊へ御遊猟の時 屡当山へ駕を寄らm96-06-08 F6144れしよし すでに此ほとりに御殿地あり その頃賜はる所の蜀紅錦の袈裟なりとて今に寺寶とす (中略) 寛永十一年御殿撤収の災に罹りし時 此寺も同く烏有す 其時は御殿興営の余財に白銀五貫を添て再建の料に下されしよし 同十七年工全く竣せり 元禄の頃より官の修造を停られしと云 境内西福寺跡とて除地十五歩の所あり 西福寺は当山の子院なりとそ 其廃せし年歴をつたへす 本堂。九間に十三間半西向』『観音堂 門外にあり 三間四方、坂東三十三体を安す 大悲殿の三字を扁す 筆者m96-06-09 F6146覚眼』

本堂は、意外に簡素です。元禄時代から修理を制限されたということですから、最小限のメンテナンスで、ここまでやってきているのかも知れません。このあたりは空襲はどうだったのかなあ? 木瓜爺の記憶はこの辺については全く残っていないようです。m96-06-10 F6145

「仁王門」があるというので、先ほどの門から外を覗いてみると確かにあります。表に回って写しましょう。と、歩き始めたのですが、弘法大師にご挨拶するのを忘れていました。m96-06-11 F6149 楼門

これが「仁王門」ですが、「楼鐘」のことは、よく分かりません。真ん中に吊してあったのでしょうか? 仁王様は金網の中ですが、この日久しぶりにお供を命じたリコーのR2 という古いカメラが役に立ちました。レンズの鏡胴が細いので、網の目に入れたのです。

仁王門の廻りは、広いスペースになっています。この辺に「西福寺」が建っていたのかな?

楼門に貼り出されているのは、「競馬来場車の駐車は堅くお断り致します」でした。

m96-06-15 F6155十一面観音南隣に、安養寺のお堂らしい物が見えます。一旦、西側の通りに出てから行くようです。左側に墓石が並んでいました。その中に、十一面観音がありました。石仏にしては、頭部の仏像が大きくしっかり作られています。ちょっと珍しいな・・・

m96-06-14 F6151

通りに出るところに、正門がありました。m96-06-16 F6160
このお寺のことを、最初に知ったのは、親友の taji1325ブログ リンクを付けておきます。1月21日 妙光院

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