2017/01/03: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-07 叡光山 佛乗院 安養寺 (No.2914)

「妙光院」のすぐ南側にある「叡光山 佛乗院 安養寺」は、天台宗のお寺です。昨日の「本覺山 妙光院 真如寺」は、北条氏照などの庇護もあり、末寺23院を算えたほどの勢力となっていましたが、こちらは、末寺3門徒11寺ですから、凡そ半分くらいの勢力です。「新編武蔵風土記稿」に書かれた寺領は同じ十五石です。m96-07-01 F6161安養寺

木瓜爺が、このお寺の名前を知ったのは、昨日と同じように、taji1325ブログでした。

1月23日 安養寺

m96-07-02 F6165

 

参道を進んで行くと、露座の仁王様が居られます。m96-07-03 F6166m96-07-04 F6167

仁王様の真ん中を通過します。「新編武蔵風土記稿」にはこう書かれています。『安養寺 矢崎にあり 叡光山佛乗院と号す 天台宗東叡山の末 御朱印十五石の寺領を附せらる 末寺三院門徒十一寺を統 客殿六間半に九間 本尊弥陀 木の坐像長一尺八寸許 観音勢至立身各長一尺 川越仙波喜多院と同く 慈覺大師の開山なりと云 ・・・』

上野にある「東叡山 寛永寺」の末と書かれていますから、徳川期に入ってから作られたお寺? ちょっと変ですね。開山のことはどう書かれているのかな? 『寺伝に永仁四年 勅により再興ありと云』・・鎌倉期の再興ですね。「東叡山 寛永寺」のほうが後に出来ています。整理します。「貞観元年(859)慈覚大師により開山。その後、中興開祖尊海僧正が勅命により永仁四年(1296)に再興」です。おそらく、天台宗の関東総本山として、「東叡山 寛永寺」が造られた時に、末寺に編入されたのでしょう。m96-07-05 F6169

 

m96-07-06 F6172両側に墓地のある参道を進んで、山門まで来ました。あれ?説明板みたいな物が立っていますね。写していません。何だったかな? 多分注意札だったのでしょう。

真っ直ぐは入れませんが、左からまわって、中に入りました。m96-07-07 F6173正面にあるお堂は、観音堂でした。

 

 

「本堂」は左側にあります。その前に立つのは、伝教大師か? 違いました。見慣れぬ僧です。知らない字が書かれています「*仰崇信」m96-07-08 F6175

 

m96-07-09 F6187このお寺に関しては、「天台宗東京教区」の「寺院紹介」に詳しく書かれています。明治維新の前は「大国魂神社」の別当寺になっていたとのことです。本堂には、『本堂中央には本尊秘仏弥陀三尊、御前立の阿弥陀如来等が安置されており、左脇間には元三慈恵大師御影並びに不動明王等を、右脇間には昆沙門天・吉祥天・善膩師童子をお祀りしております。』と書かれていまして、観音堂のほうは『観音堂は、当山第33世修多羅亮延大僧m96-07-10 F6184正の代に、副住職(後34世)関口簡永和尚との協力で、明治44年に建立されました。中央には浅草寺御分体の聖観世音菩薩、左右に不動明王・荼枳尼天を安置いたしております。多摩川33観音の第5番札所にもなっております。』と、説明されています。なるほど、「新編武蔵風土記稿」のほうには、「観音堂」はありません。

m96-07-11 F6193観音堂の格子越しに「観世音」と書かれた大きな提灯が見えました。あれは浅草観音の雰囲気です。

こちらは、十一面観音立像です。お参りを済ませて、境内を元に戻り、大国魂神社の方に行きますが、途中に「金比羅堂」=「金比羅社」があることが、tajiさんのブログに書かれていました。地図を見ると、大国魂神社の境内社のようにも見えます。おっと、山門を出た所に、お地蔵様とちょっと変わった形の「馬頭観世音」です。m96-07-12 F6198

「馬頭観音」が空中浮揚?m96-07-13 F6197

 

 

この安養寺に関係する民話に「たぬきのお坊さん」というお話があるそうです。詳しい事は、府中市で発行している「たぬきのお坊さん」の本を買って下さいということなのですが、『昔、等海僧正という高僧のもとに、
正体をかくして仕えていた狸の筑紫三位という弟子がいました。ある日正体を知られてしまった狸は、引き留める等海に「人間に化けて三千年。ご恩返しに、二千年前お釈迦様に8年間仕え、教えを受けたことを実現しますので、明日人見が原にきて下さい。ただし何があっても合掌せぬように」と言い残して去っていきました。
翌日等海が弟子をつれて人見が原に行くと、浅門山のあたりに周囲を七宝瑠璃(しっぽうるり)で飾られたお釈迦様の座した多宝塔が四方に輝き現れました。等海僧正たちは約束を忘れ思わず合掌したところ、目前の仏の世界はたちどころに消えてしまったということです。三位と等海僧正が別れる時に、狸の三位が三千年の間仏の教えを書きとめた書を等海に差しあげました。この書は今も安養寺の寺宝として残っています。』ということを、府中観光協会より漏れ承りました。それで、「新編武蔵風土記稿」の記述の意味が分かりました。こう書かれているのです。『(前略)・・此に奇談あり 尊海より第三世等海に随従せし狸あり 名を筑紫三位と呼へり その筆せしものとて起立の来由なとあやしけにつつりしものあり 今寺宝となして蔵せり  山王社 小社 客殿の西にあり 境内の鎮守』 蛇足につけた「山王社」は今はありません。「日吉神社」に合祀されたような気がします。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩, 伝説 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中