2017/01/14: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-17 悲願山(彼岸山 圓養院) 善明寺 (No.2925)

『本町は番場宿と新宿との間にありて甲州街道より南の方にちれり横道なり 民家東西に並居れり 或は村南 分倍に散在するもあり 凡百八十三軒 東は六所神領及び是政村に接し 南西北の三面は全く番場宿と同し 三宿犬牙せる地にて四至の廣狭区別しへからす この地は鎌倉執権時代の奥羽街道にして 關戸よりこの宿に至り 恋ヶ窪村を過て久米川に達せり 又甲州古街道といへる一路あり 常久村の南より六社宮に大門中間を過てこの宿に至り 日野宿の東小名 萬願寺と云所に出て往来せり(以下略)』

のっけから「新編武蔵風土記稿」のお世話になっています。でも、これを頭に入れておくと、今日のご案内がやりやすくなるのでして・・・

m96-17-01 F5006府中本町1-1大國魂神社の境内の南北方向の真ん中辺りに、東から西に通る参道があります。これを西に抜けた所の住居表示写真から始まります。「本町1-1」です。ひょっとすると、このみちが甲州古街道なのかもしれません。現在「旧甲州街道」と呼ばれて居る道は、この北方100m位の所にあり、それが「大國魂神社」の正面鳥居の前を通っています。そして、現「甲州街道」はさらに200m程北にあるのです。

m96-17-00 F5008「古甲州街道」かもしれない道を、木瓜爺西に向かって歩き出しました。150m程で広い通りにぶつかります。通りの向こう側を見ると、「本町商店会」という文字が見えます。この近くに、「善明寺」がある筈です。横断歩道を渡るとき、民家の屋根の間に、ちらりと寺の屋根らしい物が見えました。その方向に入って行くことにしました。m96-17-02 F5009

この「清水下小路」というのがそれらしい道です。南の方に「府中本町駅」があるので、そこも絡んでいるようでした。m96-17-03 F5010

 「府中本町跨線橋」と書かれた橋を左に見ながら、ちょっと進んで行くと、寺が見えました。m96-17-04 F5011 善明寺

 この「善明寺」ですが、手元にある「新編武蔵風土記稿」では「善明院」と書き間違えています。なぜ間違いと断定するかというと・・・読んで頂ければ分かります。

『善明院 除地一町二段 本町西側にあり 彼岸山圓養院と号す(以下後述)・・・』院がダブっているのです。勿論、圓養寺 ということも考えられますが、現存している寺が「善明寺」を名乗っているわけですから、善明院の方が誤りということにします。m96-17-05 F5012

 
m96-17-06 F5013

 『古へは村内安養寺の末 今東叡山末の律院なり 御朱印十石六斗余の寺領を附せらる 本堂六間に七間 南向 本尊弥陀の大仏 木の坐像長凡一丈 内陣に眦尼苑の三字を扁す 延享年中天台准后公遵の御筆なり 衆寮二間半に五間半 門を入て左にあり 右の方に書庫あり 門は四脚柱作り(中略) 開山開基詳ならず、古へは大刹なりしや、中頃衰へて甚たの貧寺となれり(以下略)』以下、貧しい寺を中興した方のお話が綴られています。ちょっと面白いのですが、木瓜爺には読み切れないので、「猫のあしあと」さんの「新編武蔵風土記稿」の稿を見てください。m96-17-07 F5015

山門をくぐると、右手にお堂が一つあります。其の横に守護神社らしい稲荷。正面奥が本堂でしょう。「新編武蔵風土記稿」と見比べると、衆寮に相当する建物はないようです。書庫だった所の白壁建物は、新しい建物ですね。一丈の木像大仏はもう無いのかな?m96-17-08 F5016  左手には、「南無阿弥陀仏」の文字碑や「阿弥陀様」「地蔵様」などがおられます。m96-17-09 F5017右手の稲荷神社。

 鳥居に額がかかっているのですが、難しい字が並んでいて木瓜爺には読めません。

m96-17-10 F5019

m96-17-11 F5020

庚申塔もありました。右は「南無阿弥陀仏」の文字碑。こういうのは、ハッキリ読めているとは云えませんが、推察出来ますね。もう一つ、読めないけど、分かったものがありました。m96-17-14 F5023

この額です。「眦尼苑の三字を扁す」と書かれていた額でしょう。どこにあったかというと、本堂に掛かっていました。

m96-17-13 F5022本尊「阿弥陀仏」ですから「南無阿弥陀仏」で拝みます。最近の情報はどこかにないか・・・府中観光協会に聞きます?『天台宗。正しくは、悲願山善明寺。建長5年(1253)国分寺黒鉄谷戸(くろがねやと)の刀鍛冶、藤原助近作の「大鉄仏阿弥陀如来坐像」及びその胎内仏とされる「小鉄仏阿弥陀如来立像」が寺宝として安置されています。共に国指定の重要文化財です。墓地には依田伊織や勤王の志士西園寺実満が眠っています。』

ありゃ、山名が変わって居ました。「彼岸山」→「悲願山」。同じ音なのですが、文字が違います。でも、阿弥陀様なのだから「彼岸山」の方が正しいように思いますがねえ? 観音様なら「悲願山」がふさわしいと感じるのですが・・それに、大仏は「鉄」に進化していました。一応安置されているようです。えーとブログのタイトルを修正しよう。「新編武蔵風土記稿」の名前を()に入れました。

もう一つの建物を眺めます。これが、また「ありゃりゃ」でした。m96-17-12 F5021

m96-17-15 F5021 金佛殿なんと、掛かっている額が「金佛殿」! つまり、鉄に変わった大仏様は、こちらに居られたようです。しまった!

改めて、「大変失礼を致しました。南無阿弥陀仏」。

国分寺黒鉄谷戸(くろがねやと)の刀鍛冶、藤原助近作でしたね。国分寺の事を書いた時に、何か関連することを書いた様な気がするのですが・・・山の中で仏像が出て来て、府中のどこかに祀ったとか・・これだったのかなあ?忘却とは忘れ去ることなり、あとで古いブログを読み直して、書いて有れば、リンクします。・・・見つけました。2011/12/11のChoi-Boke爺ちゃんブログです。12月11日:木瓜爺撮歩24-2 黄檗宗黒金山祥応寺と本多八幡神社

自分の記憶に自信のなくなった木瓜爺、とぼとぼと、線路沿いに歩き始めます。別に投身自殺をするつもりではありません。近くに「花蔵院」というお寺がある筈なのです。そういえば、この線路は立川に行く「南武線」ですね。国分寺に行く「武蔵野線」は、この辺りでは地下鉄になっていた筈。

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