2017/01/17: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-20-1 高安寺観音堂 (No.2928)

旧甲州街道を60m西に進んだところに、高安寺の入口があります。「新編武蔵風土記稿」の頃は、『(番場宿)高安寺 片町にあり 龍門山等持院と号す 洞門の禅宗当郡m96-20-01 F5065 高安寺入口二俣尾村海禅寺の末 御朱印十五石の寺領を附せらる 末寺四院を統 本尊釈迦木の坐像 長二尺七寸余 本堂に安す 開山大徹心悟(中略) 中興開州徳光(中略)・・』

往古の田原藤太秀郷の舘跡で「秀郷稲荷」があること、源義経弁慶も居住せしとて「弁慶の井戸」があること、などなど長い記述になっています。当時は、「総門」が、甲州街道に臨んでいるが、山門はなくて本堂の前に山門の遺構があるなどと書かれています。m96-20-02 F5066

現在は、総門(右の写真)を入ると、左前方に「観音堂」があり、右に曲がって「山門」があります。今日は、観音堂のほうを訪れます。

観音堂の前には、地蔵堂ともう一つ大きなお堂があります。このお堂が何なのか・・・m96-20-11 F5081m96-20-12 F5080「長慶庵」という額がかかっています。「猫のあしあと」さんは、このお堂の写真に「高安寺観音堂」と説明を付けていますが そりゃ無いだろう? と、木瓜爺は首をひねっています。だって、下の写真の奧の建物が「観音堂」なのですから。m96-20-05 F5070 観音堂 でも、観音堂が傷んだので、観音様が退避される場所なのかも知れません。
兎に角、観音堂の方に入って行きます。「南無観世音菩薩」の幟が並んでいます。m96-20-06 F5074

 

m96-20-07 F5075Im96-20-08 _0528 太陽の位置が良くないなあ・・ちょっと古い写真を混ぜて使います。これは、2011年、Choi-Boke World の住人達で、百草園の蝋梅を写しに行った帰りに、高安寺に寄った時の写真です。「新編武蔵風土記稿」では、『観音堂 五間四方 門内にあり 正観音木の坐像長三尺許 胎蔵に混沌佛長九寸許のものありと云 猶外に六軀あり各二尺許 寺伝に継体天皇即位の三年 権化の雕作なり 承平年中 秀郷此像を感得し 後に一宇を建て安置すといふ 其他は今門外に観音橋と呼る所あり 其邊にありしとぞ 後洪水の患に逢て 今の所に遷せしといふ 又昔の山門及び禅室の跡なりとて 本堂の前にあり』と、書かれています。混沌佛というのはよく分かりません。m96-20-08 F5077

 

とにかくお参りして・・・周辺の仏様達にもご挨拶して・・・これは、先ほど横顔を見た観音様です。m96-20-10 F5079 地蔵堂m96-20-09 F5071右は、観音堂前にある地蔵堂です。

こちら、「高安寺」については、2011年に、taji1325ブログで、紹介されていますので、リンクしておきます。たしか三日間連続で、最後の日が「観音堂」だったと思います。今、探しています・・・1月26日 観音堂  これには、観音堂がちゃんと写っています。

木瓜爺、山門の方に行きます。六地蔵様を忘れていました。m96-20-03 F5067六地蔵

 

m96-20-04 F5106 縁起「高安寺」の略縁起もありました。2種類有ったのですが、一つは薄くなっていて読めなくて・・これは、あとで写した読める方です。

「藤原秀郷の舘」から「市川山見性寺」となり、足利尊氏が「祈願所」にして、「龍門山高安寺」とした。当時は、臨済宗だった。慶長年間に曹洞宗の海禅寺が再興させた・・という歴史が書かれています。m96-20-13 F5086

m96-20-14 F5085山門前に勢揃いした、干支別の守護仏です。ここは、曹洞宗ですが、「戍亥」に「阿弥陀仏」を使っておられます。この方が自然?ですね。「阿弥陀仏」を嫌って「八幡菩薩」とうのは、どうもしっくりきません。奉納者が188霊場巡り満願記念だったから、すんなり受け入れられたのでしょう。

明日は、山門からさらっと進めます。

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