2017/01/22: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-23 神秀山瑞応院法音寺 (No.2933)

中河原駅前から、北の方に向かう道は二本あります。分岐点の右側の道は、「分倍河原古戦場の碑」の方向に行く道、左側は南北に走る古鎌倉街道とでも云えそうな、昔からの街道のようです。現在は「新府中街道」と名付けられていますが、多分どこかに昔のの名前が表示されているでしょう。逆方向に進むと「関戸橋」に到る道です。「法音寺」は、この二つの道に挟まれた部分にありました。それで、庚申塔神社の付近から屋根が見えたのです。m96-23-01 F6671 法音寺

「神秀山 瑞応院 法音寺」 真言宗豊山派 の寺院ですが、ネット上ではまとまった情報がありません。断片的情報をかき集めますと「別名:中河原観音」「多摩八十八箇所霊場第18番」「多摩川三十四観音霊場第24番」、本尊は「不動明王、十一面観世音」。本尊については、一方しか書かれていない事が多いのですが、ご朱印は二種類出ていますので、八十八霊場としては寺の本尊「不動明王」、観音霊場としては「霊場本尊 十一面観音」ということでしょう。どうしても、由来を見つけたいと木瓜爺は「新編武蔵風土記稿」に向かいました。

「新編武蔵風土記稿」の時代では、この辺りは「本宿村」に入るのではないかと思われたのですが、『(本宿村)・・・南は四ッ谷中河原の二村、北は恋ヶ窪及び中藤新田・・・』と書かれており、調べて行くと「中河原村」というのが存在していました。日野領域に括られていた「中河原村」を調べますと、そこに「法音寺」が書かれています。

『法音寺 境内見捨地百八十坪 小名北村にあり 神秀山と号す 新義真言宗 府中宿妙光院末なり 本堂四間に五間 巽向 本尊弥陀 木の坐像八寸 行基の作なりと云 開山開基をつたえす  観音堂 本堂に向ひ右の方にあり 二間四方南向 十一面観音立身の木像長二尺許 これも行基の作なり』。m96-23-02 F6673

小名北村については、『文字のことく村の北にあり』なのですが、『中河原村 ・・東は連光寺村の内小名下河原に隣り 艮(うしとら:北東のこと)府中宿少しかかれり 西は四ッ谷村に界ひ 南は関戸一の宮の両村に接し 北は本宿村に続けり・・・』とありますので、これで決まり!

本尊は「阿弥陀如来」から「不動明王」に変わったのかも知れませんが、観音様は「十一面観音」で続いています。案外隠居された「阿弥陀如来」もおられるかもしれません。

境内には、弘法大師修行像もありますが、ここのは笠を被っておられません。像自体かなり簡略化されているようです。

m96-23-03 F6676

m96-23-04 F6678

このお寺にある「供養碑」で、ちょっと珍しいものを見つけました。m96-23-06 F6683鶏霊供養

 

読めますか?「鶏霊供養」です。武蔵小金井の金蔵院にもあったかな?でも、この方が古いです。昭和十八年年の建立、個人名が沢山並んでいます。太平洋戦争のまっただ中ですが、木瓜爺は大阪から東京に出て来たばかりですから、思い当たる事件も浮かびません。養鶏家の方々が軍需用の鶏を供養されたのか? 金蔵院の場合は、昭和二十六年の建立で、戦災などが動物にも害を及ぼしたことで供養するというような事が書かれていたと思います。最近の「鳥インフルエンザ対策」として、何十万羽もの鶏を殺処分する残虐な人間としては、花でも供えないといかないかな?

m96-23-05 F6679

m96-23-06 F6680

m96-23-07 F6682

 

お地蔵様も居られます。真ん中は「宝塔」でしょうか? そして右端は「普門品供養」のようです。ひととおり参拝したので、200m程西にある御嶽神社を探します。

広告
カテゴリー: 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中