2017/01/23: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-24 中河原・御嶽神社 (No.2934)

法音寺の横の道、「新府中街道」を横断しようかと、横断歩道の所で向こう側に目をやm96-24-01 F6684御嶽神社ると「御嶽神社」への案内標識が見えました。これは有難い・・m96-24-02 F6685

この「御嶽神社」は、「新編武蔵風土記稿」にも出ているのですが、ちょっと位置が違うようなのです。まずそれを書きましょう。『山王御嶽合社 社地見捨地二十坪 免田見捨地二畝許 是も本村にあり 本社六尺に二尺覆屋二間に二間半 東向 前に鳥居を立つ 神体各白幣 例祭九月十五日 これも同寺の持』 同寺というのは「法音寺」なのですが、法音寺が小名北村なのに対して小名本村にあります。その本村の説明が『本村 村の南にあり』なのです。ですから、法音寺より南にあった神社なのです。今行こうとしているのは、法音寺の西北西ですから、まるで方向違い。ただし、この「中河原」や「本宿村」あたりは、多摩川の洪水にしばしば侵されます。例えば、谷保村の天満宮などは、昔は「本宿村」の「小名天神島」という多摩川岸にあったのですが、洪水を避けて「谷保村」に引っ越したのです。細かいことは存じませんが、「中河原」という名前自体が、「浅川」と「多摩川」に挟まれた河原だったところから「中河原」と呼ばれたと言い伝えられていm96-24-03 F6687るくらいです。木瓜爺は、そういう水難から逃れて、引越をしたのではなかろうかと想像しました。住吉会館の右手の方に広場があり、「御嶽神社」が立っていました。

そこにあった由来書によると『御嶽神社は、江戸後期文政年間の記録には、山王御嶽合社とあり、山王神社のご祭神である大山咋神と、火災・盗難除けで名高い東国の霊場西多摩の御嶽山より勧請した大阿奈牟知命をご祭神とし、合せ祀っている。
明治三年十月村社に列せられ御嶽大神と称したが、同二十九年四月に御嶽神社と改称した。その後同じ中河原の八幡神社を合祀、ご祭神は応神天皇である。
古来より中河原村の鎮守であり、福の神、縁結びの神として崇敬された産土神である。 また武蔵国の護り神である大国魂神社と同じご祭神であるとも伝えられている。
例祭日は九月十五日である。 平成十三年三月吉日』 と書かれていたそうです。頼りない書き方になっているのは、木瓜爺写真を写し忘れてしまったからなのです。近くで親子が遊んでいたので、あとにしようと、外を写しているうちに忘れてしまった・・というお粗末。この中に出てくる「八幡社」も「新編武蔵風土記稿」には「本村」にあっm96-24-06 F6691て、「法音寺」の持と記されています。神社の引越については書かれていませんので、「法音寺」の方が南に引越したのかも知れませんね。

祭神は「大山咋神(山王様)、大阿奈牟知命(武蔵御嶽大神)、応神天皇(八幡様)」です。今日の撮歩のご加護をお願いして行きます。

神社は前が祈祷殿で後部に神殿が入っているようですが、m96-24-05 F6690元々「白幣」が神体だったわけですから、神棚だけかもしれません。ネットでは、祭のことが出て来ます。地元の青年会が祭礼を支えているようです。社殿の横にあった白い建物は「山車」の車庫でしょうか?

広場の端に、「中河原」の解説が作られていました。「新編武蔵風土記稿」の引用もされています。

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次は、本宿村の「小野神社」。今回の「撮歩」のメインになります。

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