2017/01/27: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-28 梅花山 天王寺 光明院 (No.2938)

「日吉神社」から、住宅の間の1m幅の路地を東に進みます。クランク・コースm96-28-01 F6797を抜けて、広い道に出ると「光明院」の前でした。そんな道を知っていたわけではありませんが、自転車が走っていったので、抜けられるのだろうと、あとを追った結果です。m96-28-01 F6799 光明院

「新編武蔵風土記稿」にも記載された寺ですが、出来たのは鎌倉期のようです(後述)。山門の外、こちらから見て右側に六地蔵。逆光なので、また怪しげな写真になるだろうな・・・

m96-28-02 F6802

 

左の方には「庚申塔」があります。現在時刻12:19ですから、太陽は真南。影の出方からみて、ほぼ西向きですね。山門をくぐりますと、右側、墓地の入口のような場所m96-28-03 F6803に「辨天様」がおられました。m96-28-04 F6806 辨財天

 

正面は本堂ですが近代建築です。二階が本堂で、下は「寺務所」になっています。m96-28-06 F6809 本堂

 

正面に不動明王がおられます。m96-28-07 F6810 不動明王本堂前まで上がるのを省いて、ここでお参りできるようです。「正光院」で出てきた不動明王の御真言が今度は出て来ない! 不動明王の真言と、釈迦如来の真言は出だしが同じなのですが、頭に浮かぶのは「ボダナンバク」という釈迦如来の方の後半部分・・・ボケ爺です。仕方が無いから「南無不動明王」(前半は、ノウマクサーマンダー でした)。

この「光明院」住職の方(「あちゃら」と名乗っておられます)が、アメログで寺ブログを書いておられます。「天王寺」という寺名は、そのブログで教わりました。 近くにあった「天王社(現 八雲神社)」との関係で「天王寺」と号されたのでしょうか? 「新編武蔵風土記稿」では、次のように書かれています。

『(本町)光明院 除地、二段五歩、分梅にあり、梅花と号す、本寺前に同じ(蓮乗院という項の「新義真言宗、村内妙光院の末」のことです) 本堂五間に七間西向 本尊不動 木の坐像 長一尺余、開山開基詳ならず 弥陀堂 二間四方、本堂の前にあり』・・「梅花と号す」は普通だと「梅花山と号す」なのですが、山が落ちたのか? 府中の墓石屋さんの紹介では、『光明院の創建年代は不詳ながら、鎌倉時代に北条家の家臣肥後守小川義継が建立した祈願所を開基とし、阿闍梨祐秀(天正13年1585年没)が中興』と書かれていました。寺伝でしょうか? なお、現在は「真言宗 豊山派」に所属しています。

m96-28-05 F6808 住職供養塔山門を振り返りましたら、「歴代住職供養碑」がありました。風土記稿の「弥陀堂」は、現在はないようです。本堂に収容されているのかも。

寺務所の南側に「弘法大師修行像」があるのですが、1/21に、その前で「大師講年祭」というのが行われたそうです。毎年行われる例祭のようですm96-28-08 F6814

ということで、二つのネット情報に助けられまして、今日のブログは終了。書いている木瓜爺ちょっと熱っぽい・・北風の中、朝から鳥さんのところに遊びに行った所為でしょう。

次は、「八雲神社」に行きます。ここは、「新編武蔵風土記稿」では本町の「天王社」ですね。あい

広告
カテゴリー: 行事, 寺社, 散歩 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中