2017/01/29: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-30 陣街道、抱き板碑と庚申塔 (No.2940)

まず、「陣街道」という名前から始めます。「八雲神社」下の街道にこの碑を見つけまm96-30-00 F6852m96-30-01 F6853した。丈夫に地図、側面に説明があります。「陣街道」というのは、軍勢がここを通って北上していった事から付いた名前のようです。「鎌倉街道」とも「分梅道」とも呼ばれたようです。地図をみると・・・m96-30-02 F6854

 

『江戸名所図会3巻』には、「分倍河原 陣街道」とあるそうで、 府中本町と関戸(現・多摩市諏訪町あたり)を結ぶ道です。奥州から鎌倉へ向かう軍勢が陣立して往来したことに由来し、鎌倉と北関東を結ぶ重要道路で「鎌倉道」とも 呼ばれました。』

その「陣街道」をちょっと進んだところに、珍しm96-30-03 F6855い板碑を発見。分かりますかね。杭には「七百余年の歴史の板碑」と書かれています。古木に抱かれていた板碑なのです。以前はこれ全体を覆うように鉄骨の小屋が掛けられていたのですが、中身をレプリカに変えて、小屋の方は撤去したようです。

昔の写真が貼ってありました。説明も付いています。板碑の梵字は「弥陀」を表す「キリータ」のようです。m96-30-04 F6856

m96-30-05 F6857

写真の説明ですが、かっては右のような状態でした。木が駄目になったので、左のようm96-30-07 F6861 板碑にしてあったのですが、レプリカに変えたと言うことです。ともあれ、写真にはなりますね。こんなものでどうでしょう。

八雲神社を離れて、北に200m程。浅間神社の前で、「庚申塔」を見つけました。その手前に「屋敷分」の説明がありました。銅板の方も面白いのですが、うまく撮せません。上は、明治の初期の地名を書いた地図です。下は「江戸名所素図会」の挿絵かな? 多摩川付近の絵です。で、屋敷分の説明ですが、地名の起こりは、六所宮の神官たちの屋敷がこちらにあったというような事らしい・・つまり社地の屋敷分だというような事でしょうか? よく理解できません。この「屋敷分村」は、東西五町南北二十町という細長い村だったようです。m96-30-09 F6862

 

m96-30-10 F6866

こちらが「延宝2年(1674年)に作られた三猿の上に青面金剛が刻まれた庚申塔」m96-30-11 F6869です。ここは東に向いています。右の四角なのは、「寛政2年(1790年)に作られた 奉讀誦普門品供養塔 」。

説明板もあるのですが、何とも読みにくいしろもので、あきらめます。

では、浅間神社にお参りしましょうう。

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