2017/02/02: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-33 是政山(寶珠寺)西蔵院  (No.2944)

「常光寺跡」から、少し戻って、再び川崎街道を南に向かいます。この道も中央道の下をくぐることに変わりはありません。くぐってしまうと、地名としては「是政」にはいるようです。この「是政」という地名は、人の名前らしい・・「新編武蔵風土記稿」には、こう書かれています。『是政村は郡の東にあり 鄕庄の唱を失う 古は横山村と云しよし村の旧記に見えたり 天正年中 井田是政 この地に土着せしより是政と呼へり云・・・』。この「井田是政」の墓が、とんでもないところにあるのですねえ・・・東京競馬場に行かれる競馬ファンはご存じかもしれません。東京競馬場の地図を見てください。えーっと驚かれる場所に「井田是政の墓」と書かれています。馬が走るのを見るのが好きだったのでしょうかねえ? そうではなくて、東京競馬場の事を書いた文献?からの写しを入れておきます。『府中の東京競馬場は、昭和8年(1933年)11月に開設された。それまで東京の競馬開催地は目黒競馬場であったが、近隣が住宅地化して拡張が出来ないため、この府中に移転させた。この移転の際に問題となったのが、敷地内にある“墓”である。
墓の主は井田摂津守是政。祖先は鎌倉時代の御家人まで遡ることの出来る名門であり、是政は豊臣時代に帰農して一帯を開墾して村を興した人物である。競馬場建設にあたって墓も移転と決まったが、井田家は拒否。強制代執行が行われようとしたところ、親族が日本刀を振りかざして抵抗したために、ついに都の史跡指定を受けて保存されることになったのである。
是政塚と呼ばれるこの墓は今でも東京競馬場内にある。第3コーナーから第4コーナーに向かうあたり、馬場に不釣り合いなぐらい大きな榎があり、その根元辺りに墓がある。ただしこの場所は関係者以外は立ち入り禁止であり、年に1回競馬関係者が供養を執りおこなっている。現在残っている木以外にも何本かの大木があったのだが、それらを伐り倒した業者が数名(3名とも)急死したので、これが井田是政の祟りであるとされ、観客席から一瞬馬群が見えなくなるにもかかわらず、この大木は取り除かれることがないのである。そして競馬を知っている人であれば、この巨木が1つの禁忌として扱われていることを知っているだろう。「魔の第3コーナー」と呼ばれ、過去にこの場所で多くの落馬事故や予後不良となる馬が出ている。』という、有名人なのです。

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m96-33-02 F6975 歩いていると、「大丸街道」という石柱がありました。名前の由来は分かりませんが、昔の堤政橋があった所に行く道だったようです。現在は途中でなくなっているようでした。m96-33-03 F6979大丸街道

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「是政三丁目南」という交差点の歩道橋横に「西蔵院」は建っていました。消えていなくて良かった・・・「新編武蔵風土記稿」の「是政村」に記録されたお寺です。『西蔵院 除地一町二段九畝十歩 西裏にあり 是政山と号す 是も妙光院末 客殿四間半に三間半 本尊大日木の坐像 長二尺 開山開基をつまひらかにせす 地蔵堂 三間四方 木像長五尺余の立身』m96-33-05 F6984 西藏院

このお寺入口が幾つも並んでいて、どこが正門か迷いました。「山門」があるところを正門と見なしましょう。下の写真です。「是政山」の額が懸かっていまあす。m96-33-09 F6989

m96-33-08 F6988 正門

次が車の入口。m96-33-07 F6987本堂の見え方で分かるように、こちらが左にあった入口です。

次は「本堂」です。現在のご本尊も「大日如来」だそうです。m96-33-10 F6990

石材屋さんの紹介ページによると『是政山西蔵院は、東京都府中市に古くからある真言宗豊山派の寺院で、寺号は宝珠寺。多摩八十八ヶ所霊場のひとつにも挙げられています。ご本尊は金剛界大日如来です。伝承によれば、その始まりは平安末期の保延元年(1135年)。その後、文明6年(1475年)に権大僧都源興によって中興され、下って延宝三年(1676年)に多摩川寄りの俗称葡萄林から現在の場所に移されたといわれています。』 こちらも、最初はもっと川よりにあったらしいですね。m96-33-12 F6993地蔵堂

m96-33-13 F6999これが、地蔵堂です。先ほどの石材屋さんの紹介では『明和年間(1764年-1772年)に火災に見舞われますが、すぐにも再建され、安永8年(1779年)には地蔵堂が建て直されました。中興の年が墨書 された長押がいまも大切に保管されています。平成10年より本堂、地蔵堂、鐘楼、客殿庫裏を改修し、平成13年に落慶。現在に至ります。

地蔵堂に祭られた鼻取地蔵尊(室町時代の作)は、民間の言い伝えとともに長くこの地域の人々の信仰を集めてきました。毎年9月24日には鼻取り地蔵尊祭が催され、その信仰心はいまも受け継がれています。』と書かれています。ただし、お地蔵様は、五尺の木像ではなく、金属佛になられたように見えました。少なくとも、金ピカです。なお、「鼻取地蔵」というのは、同種の話が全国あちこちにあり、「農繁期に、お地蔵様が小僧に化けて、牛の鼻をとって、お百姓さんを手伝った」お話です。

そう広くない境内ですが、鐘楼や守護神社などもあります。弘法大師もおられます。

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m96-33-16 F7006「守護神社」は鐘楼と塀の間の窮屈なところです。赤い鳥居なので、多分お稲荷さんでしょう。そうそう、墓地側に別の地蔵堂があったのを写し忘れていました。ちょっと遠い画像ですが・・m96-33-17 F6986一通り、拝ませて頂きましたので、失礼しましょう。次は、「鹿島社」さがしです。m96-33-18 F7008「新編武蔵風土記稿」に書かれた神社なのですが、地図には載っていないので、ちょっと不安です。同じ「西裏」にあると書かれているので、ここからそう遠くではないと思うのですが・・

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