2017/02/04: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-35 八流山 一乗院 竜泉寺 (No.2946)

「鹿島神社」の前を通り過ぎてしまった木瓜爺が出たのは広場でした。m96-35-00 F7012

 

遠くに見えて居るのは「中央高速道」です。その手前に木立もみえますし、あの辺に鳥m96-35-01 F7014居が有るのじゃないかなどと考えてキョロキョロ。でも、何もないようです。道路は右の方の住宅街に入って行くので、そちらの方も観察。すると、なにやらお堂のような屋根が見えました。あれは、きっとお寺だよ・・是政にあると書かれたお寺の事を思い出します・・これは木瓜爺の壊れ始めた記憶装置にとっては、並大抵の事ではありません。でも、「龍ナントカ」ってお寺があったよな・・行ってみよう!

路地のような狭い路をたどります。庭で柵になにかの蔓を結びつけているおばあちゃんがおられました。鹿島神社のことを尋ねようと声を掛けたのですが、知らん顔。どうも耳が遠いようです。仕方が無いので、とりあえずお堂を先に見てこよう。m96-35-03 F7017m96-35-02 F7015

 

「八流山 一乗院 竜泉寺」の表札が懸かっていました。「新編武蔵風土記稿」では、『除地一町一段四畝廿四歩 中村にあり 八流山一乗院と号す 新義真言宗府中本町妙光院の門徒 客殿四間に五間 本尊正観音 木の坐像 長一尺許 開山開基祥ならす』

名前から察するに、同じ小名中村にある「八幡神社」の別当寺的なお寺でしょう。「八」は「八幡」の「八」でしょうが、「八流」なんてつけて、多摩川の洪水で何度も流されたのじゃないかなあ? あまり縁起の良い字ではありませんねえ? 妙光院門徒となっていますので、末寺ではなく、信者の個人的なお寺なのでしょう。名主さんの菩提寺かなにかかな? ネットを調べて見ると、ここで法事を行われた方のブログの中に「府中市史」の引用がありました。それに拠りますと『竜泉寺のいわれ 新義真言宗。八流山一乗院と号する無住である。本堂二間に二間、庫裏三間に三間。(中略・・既に書いた風土記稿の引用・・)、妙光院の門末世代記に「開山末分明 中興元m96-35-04 F7018 竜泉寺地蔵亀三年壬申之比 権大僧都長賢法印字 慶長十八年癸丑八月六日」とある。俗に面子寺といい、腫物ができたとき仏前にかかる面をかりて行き祈願すると効果が著しく、なおったとき新たに面を奉納するという信仰があり、現在(昭和42年当時)でもなおこの目的で参詣にくる人があるという。なお、江戸時代、是政八幡宮(是政八幡神社)の別当寺であった。』なのだそうです。このお寺は無住ですが、墓が有る場合の法事などは「妙光院」のお世話になるようです。

門を入って左側に地蔵堂があります。本堂の横には「庫裡」が連なっています。無住でm96-35-05 F7019すから勿論戸は閉まっています。m96-35-06 F7021

 

m96-35-07 F7022「南無観世音菩薩」で良いのでしょうね?本堂の角に半鐘がぶら下がっていました。これは何用でしょうね。墓地の入口の方に、もう一つ地蔵堂がありました。府中市史に書かれていた「お面」らしいものは、目に付きませんでした。もう廃れてしまったのでしょうか?m96-35-08 F7023

 

片隅にあったのは見慣れぬ石碑「奉納吉田霊神」と書かれています。神道的な供養碑でしょうか?m96-35-09 F7029

お参りを済ませまして、再度「鹿島神社」を探そうと引き返すと、先ほどのおばあちゃんに正面から近づく形になりました。おばあちゃんが、こちらの顔を見たときに声を掛けまして、神社の位置を伺うと、もっと向こうだと指さしてくれました。それに従って歩いて行って、鹿島神社にたどり着いたのでした。こちらも爺ちゃんですから、「おねえさんありがとうございました」と言うべきですね。では、明日は「八幡神社」です。

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