2017/02/23: 府中市散歩;木瓜爺撮歩96-47 郷土の森博物館・庚申塔 (No.2965)

2/17のことです。定期点検で歯科に行きました。其の後、梅の花を見ようと思い、m96-47 F5370 分倍の義貞自宅に電話。「府中の郷土の森博物館へ梅を見に行かないか?」。福生駅で落ち合って、分倍河原駅へ。ここからのバスは30分おきです。20分待ちでした。m96-47-02 F5371 バス停駅前の広場には、新田義貞の銅像があります。昭和63年に府中市が建てたものです。「像の製作は文化勲章受章者の富永直樹氏によるものです。その顔は、鎌倉の方向を見つめています。」と説明されています。時刻通りバスがやってきて、無事「府中郷土の森博物館正門前」に到着。「郷土の森公園」というのがあって、その中に「博物館」があるのですが、建物があるがけではなく、広い庭園をもっています。この庭園には、「梅林」がかなりの面積で作られています。m96-47-03 F5374今日のブログは、その庭園に散在している「石仏」を見て回ります。地図が小さくて見えないと思いますが左の方に赤い○が見えますか?その少し左上の青い部分が博物館、その下方のグリーンのゾーンが、庭園部分ですから、かなm96-47-04 F5377りの広さだと分かるでしょう。        「博物館」の入場券売り場です。右の白い建物が「博物館」本体です。m96-47-06 F5379常設m96-47-05 F5378展示と特別展示があるのですが、今の特別展示は「多摩川野鳥冬の陣」ということで、冬姿の野鳥の剥製がずらり並んでいました。そこを見学する前に、途中で買ってきた昼食を頂きます。博物館の喫茶室の一部が屋外にあったもので、ちゃっかり使用させて頂きました。そして、剥製の鳥を見てから、梅林に向かいます。「しだれ梅」が最盛期のようでした。ただし、河津桜が混じって居ても、視力低下(本当は頭の中の判断力低下)の木瓜爺には区別がついておりません。まあ、堅いこと言わずに、のんびりした風景を味わって下さい。m96-47-07 F5381

 

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ここは、台地の上部ですが、南(多摩川のある方向)に行くと、谷と山が出て来ます。結構アップダウンがあるのです。途中に、古い施設を復元した建物も作られています。m96-47-10 F5383m96-47-11 F5384

左は「府中市役所」。右は「商店」でしたか?展示としては、ちょっと中途半端です。

m96-47-12 F5388 梅林

谷筋と云うほどではありませんが、ちょっと低い部分に下ります。そこに設けられた梅林が見えて居ます。こういう風に、いくつかの「梅園」ブロックが作られています。あの中に入って行きましょう。m96-47-13 F5391 地蔵

 

最初に迎えてくれた石仏は「お地蔵さん」でした。m96-47-14 F5392この地蔵は、元は「普門寺」門前にあったものだそうです。何故分かったかは、最後に書きます。

「府中」の特産物は「マクワウリ」だったようです。その名残に「御瓜田」が作られていました。「御」の字が付いているのは、将軍などに献上したという意味をこめたものでしょう。

「江戸東京野菜通信」というサイトがあるのですが、其処に載った記事があります。『2012年04月14日 東京の府中市で、幕府のマクワ瓜畑・御瓜田復活の取り組みが動き始める。・・・・府中市のビアハウスケンに勤める和田純一さんが、訪ねてきた。これまで、府中市商工会の勉強会で、まち興しの資源を模索していたが、府中市には江戸時代に、幕府のマクワ瓜畑・御瓜田があったことを調べあげ、これまでマクワ瓜で地ビールや、パンを試作したという。地域に伝わる「伝統野菜には、一つ一つ物語がある」、と常々言ってきたが、こうなると、マクワ瓜にこだわりたくなるのが人情・・・。
和田さんから、江戸時代に伝わった、素性のはっきりしたマクワ瓜がないものかと、相談があったもの。(中略) 江戸のマクワ瓜は、甘いものが少なかった時代、「水菓子」と言われて、将軍はもとより、真夏に井戸で冷やされたマクワ瓜を江戸市民たちは好んで食べた。(中略)
現在、江戸東京野菜としては、中川流域(葛飾区)で栽培されていた、大振りの「本田(ホンデン)うり」(右上)が、足立区(内田和子さんが栽培していた)で見つかった。また、小金井市の農家・島田さん宅に伝わっていた「黄金(コガネ)のマクワウリ(左下)」も見つかり、江戸東京野菜として認証されている。
当研究会では、15-6年前に府中で、マクワウリ栽培が行われていたことは確認しているが、その後は把握していない。そんなことから、先日、府中市をテリトリーとするJAマインズの杉崎忠雄代表理事組合長にお会いして、現在、生産者がいるのか、栽培してくれるか、などについて協力を要請した。』 この活動が実った場所なのでしょう。

そろそろ梅林の見物を始めます。写真を並べておきます。実物の方が綺麗ですよ。

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奥の方に「蝋梅」も残っていました。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERAKONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

梅の木の間に、「福寿草」の花も残っていました。遅ればせながら、早春の雰囲気も味わえました。梅園の中程の売店で、「甘酒」で小休止。何故か木瓜爺は梅の花を見ると、甘酒が飲みたくなるのです。湯島天満宮では、悩んだ末「酒まんじゅう」のほうにしたから、ここは「甘酒」!

21-江戸の古社;木瓜爺撮歩77-13-2 湯島天満宮(湯島天神)Ⅱ (No.2602)

m96-47-19 F5422 川崎平右衛門辺りを見回すと、「銅像」がありました。「川崎平右衛門」です。m96-47-20 F5423

 

この方は、多摩地域一帯に大きな足跡を残された方です。「顕彰碑」などは、木瓜爺ブログにも何回か登場しています。この府中の「押立村」の名主でしたが、享保の改革の時取り立てられて、最後は世界遺産になった「石見銀山」の代官まで務めています。

「サンシュユ」を褒美に頂いたので・・・と書かれているので、木瓜爺「サンシュユ」なんか貰っても嬉しくないだろうと思ったのですが、この植物、朝鮮半島から日本に渡来したのが江戸中期だったのですね。当時としては「珍しい木」で、かつ「漢方の薬剤」でもあったのです。なるほどなあ・・です。

m96-47-24 F5428 庚申塔休憩を終わって、そろそろ帰ろうか・・歩き始めて直ぐ、右の写真、見事な「庚申塔」です。これは、いいなあ! 「青面金剛」のようです。足元に三猿がいて、「青面金剛」を担いでいるようです。道の反対側にも三体出て来ました。KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

 

 

 

 

おそらく、この公園を作るときに、あちこちにあった物をまとめたのでしょうが、貴重な遺産です。何か情報はないかと調べましたらありました。「郷土の森博物館の大切な風景 庚申塔、馬頭観音塔、地蔵菩薩、供養塔」というサイトが見つかりました。それによると、この三体並んでいるのは、「白糸台5丁目」にあったとのこと・・ということは、「本願寺」の方ですね。「車返村」にあったということか・・・右の見事なものm96-47-26 F5434 馬頭観音だと云ったのは、若松町4丁目 ・・浅間山公園の近く、「人見村」になるのかなあ? まだ歩いていない所なので、よく分かりません。

今度は「馬頭観音」のようです。附中町2丁目というと、京王線府中駅の北の方・・この外にも、石橋供養碑などがおかれているそうです。

というわけで、梅の香と石仏を堪能して、帰途につきました。と、「府中郵便局」の昔姿がありました。m96-47-27 F5442

 

 

民家の一部を改造して、窓口のある部屋にしたのですね。面白いねえ・・m96-47-29 F5441

前にある四角い柱のようなものが、「郵便ポスト」ですよ。 「旅館」→「郵便局」→「歯科医」→解体復元「郵便取扱所 見本」 苦労した住宅君でした。

さて、明日は、どこに姿を現すか・・

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