2017/04/06: 〔江戸の古社〕;木瓜爺撮歩77-20-2 王子神社(2) (No.3007)

FC2ブログとのリンクが上手くつながらないようです。殆ど同じ内容ですが、バックアップに残して有ったものを公開しておきます。

期待のFC2 が、先ほどログライターとつながりました。まだ、動作安定とは云えないので、どうなるか分かりませんが、メインブログは「続・木瓜爺ブログ」にウエイトをかける予定です。

いよいよ「王子神社」に参拝です。ここは、「新編武蔵風土記稿」では、「王子権現社」です。当時の絵図があります。まずそれをご覧下さい。(この写真が向こうでは小さくなっています)

m77-18-00 王子権現

 

 

 

 

 

「権現様」ですから「寺」寄りです。右端に鳥居がありますが、楼門があり、神楽殿のような建物があり、其の奧に社殿らしき建物があります。右の方には鐘楼めいた建物もありますね。風土記稿の記述ですと、神楽殿、護摩堂、鐘楼があったとされています。この絵の社殿後ろの丘には、天神宮、東照宮も描かれています。『王子権現社 渡殿幣殿拝殿あり 縁起云 紀伊国牟呂郡熊野三所を勧請する所にして 祭神は速玉之男 伊弉冊尊 事解之男 是ナリ 其の年歴は祥にせされと 康平年中 八幡太郎義家 奥州征伐の時 当山にて金輪佛頂の法を修せしめ凱旋の日社頭に甲冑奉納云々とあれは 其より以前の勧請なること知へし 文保元弘年豊嶋氏修造の事あり、其後小田原北條家にても尊信淺からず、上平川内三貫六百文下平川村内二十二貫八十文牛込内三貫百八十文の地を社領として寄附せしこと 【小田原役帳】に見えたり (以下略)』

m77-18-09 F6026 王子神社

鳥居をくぐると、左手に「縁起」が書かれています。m77-18-10 F6031

祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、速玉之男、事解之男と、ちょっと増えています。これによると、豊島氏(豊島郡の支配者)が熊野三社権現から「王子大神」を勧請し「若一王子宮」として祀ったのが始まりで、それが地名にまで及んだ事が書かれています。 徳川八代将軍吉宗が、紀州出身ですから、ちょくちょく訪れたようです。飛鳥山を桜の名所にしたのも、吉宗将軍のようですね。

m77-18-11 F6032

正面に立派な社殿があります。神棚には、鏡がおかれていて、ここからでも、よく見えます。狛犬は一対。・・・・うーん、この並び配置が、FC2では難しいなあ・・小さい画像でやれたら良いのですが・・・

m77-18-12 F6034

m77-18-13 F6035

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

m77-18-14 F6036 社殿とにかく、お参りして来ます。(続・木瓜爺ブログでは、ここで「飛鳥明神」のことに触れています。)

この神社には、「関神社」というちょっと珍しい末社があります。由来が石碑に彫ってあるのですが、この写真では読めそうもないな・・・説明板によると・・・

m77-18-16 F6018 関神社

『この神社の由緒によると、関蝉丸神社の御神徳を敬仰する人たちが「かもじ(髪を結う時自分の髪に添え加える毛)業者」を中心として、江戸時代に王子神社境内に奉斎したことを創始としています。「毛塚」は釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎に入られた時、貧女が自らの髪の毛を切り、油にかえて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝いたという言い伝えから、毛髪を扱う業者によって毛髪報恩と供養のために昭和36年5月24日、建立されました。』ということなのです。「髢」「鬘」の神社なのですね。横に「毛塚」が出来ています。

では、これで「王子神社」から退散して、お花見に行きましょう。

m77-18-19 F6020

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